新歩道橋872回

2014年4月26日更新


 
 「あまなが来るってさ。連休の21日だ!」
 「昼の部の芝居を見て、午後は楽屋にいていいかって言ってる。すべてOKだとメールしといたけど...」
 大阪・新歌舞伎座の、僕らの楽屋がいろめき立っている。少し残念だが〝おじいちゃん〟と名指しされた僕、〝おとうさん〟は真砂皓太で〝お兄ちゃん〟が綿引大介。まるで家族みたいな親しいつき合いの役者たちを、興奮させているのは吉岡あまな18才。この春学習院大の仏文科に進学する女の子だ。
 真砂、綿引、僕の3人は、2月の明治座の楽屋で彼女と一緒に〝暮らした〟仲だ。「松平健・川中美幸特別公演」で、最初は僕の付き人だったが、聡明、利発で少し活発なあまなは、大の男3人をあっさり虜にしてしまった。楽屋の掃除から始めて、3人の食事の世話、来客の接待など実にまめまめしい。部屋へやって来る床山さん、お衣装さんともすぐに親しくなり、その仕事ぶりを観察、一部を見習って手伝い、楽屋見舞いで貰った胡蝶蘭の配置までデザイン!? する。
 真砂が下世話に社交的な人だから、仲間の役者たちがよく顔を出す。殺陣の西山清孝を筆頭に、安藤一人、小林茂樹、丹羽貞仁らが常連だが、あまな人気でその回数が増えた。真砂に貰った松平の名入りジャンパーや、川中の公演名入りTシャツを着込んで、あまなは楽屋廊下を往来する。役者仲間への伝言、頭取部屋前へ来客の出迎え、出前の注文や食器の整理...雑用を何でもこなす甲斐々々しさで、あっという間に舞台裏のアイドルだ。
 松平主演の「暴れん坊将軍」の真砂の役は、尾張藩主の実弟徳川通温。それがどんな男なのか? と興味を持てば、スマホをちかちか操って答えを出す。のぞき込む真砂相手に通温をめぐる家系図まで作ってみせた。その挙句ついには、僕ら3人の衣装替えの時間や出のきっかけまで、ニコニコ合図する。いつの間にか僕らは、あまなのキューで動くようになってしまった。
 2月の東京は2度も大雪に見舞われた。都心でも歩行困難の積雪で、交通機関も乱れに乱れた。遠路の出演者が楽屋泊まりを強いられた日々。それでもあまなは赤い頬にマスクをかけて、午前9時半にはちゃんと楽屋入りした。休めと言っても休まない。
 「今どき珍しいくらい、穏やかなしっかり者で、心身ともにタフだ。俺たち世代から見れば、理想的な娘だな」
 「家での教育やしつけがきちんとしてるんだろうね」
 「いい環境で育ったことが、言葉遣いや行動にはっきり出ているなあ」
 中年から熟年の男どもが絶賛した一カ月。明治座の千秋楽には、荷物の段ボール箱詰めまでやってのけた。一カ月の楽屋ぐらしだと、びっくりするくらいの生活用品がたまる。それを区分けし、作ったリストとともに大阪へ。今回の公演は明治座から新歌舞伎座へ、引き続き移動したためだ。
 果たして大阪で、僕らは〝あまなの不在〟に大いに戸惑った。真砂と僕、それに園田裕久が綿引と入れ替わった3人の楽屋。事あるごとに、
 「あまなが居たら...」
 「あまなだったら...」
 で、綿引が遊びに来る都度、
 「あまなちゃんは...」
 が口癖だ。その穴を埋めてくれたのは、出演者の一人下山田ひろので、この人は東宝現代劇75人の会の僕の年下の大先輩。部屋をのぞいた川中美幸が、
 「今度は、この人が介護してくれてるのね」
 とジョークをとばした。
 吉岡あまな18才、実を言えばこの子は、亡くなった作詞家吉岡治の孫娘である。そうタネ明かしをすると、大ていの人は眼が点になった。吉岡夫妻はともに演劇好き、それに連れられて彼女は、あちこちの楽屋も見聞したらしい。昨今はミュージカルの台本を書いているというから、血は争えないもの。是非...という孫娘の希望が、吉岡夫人から親交のある僕に伝えられての、明治座一カ月だった。
 そのあまなが、大阪へやって来る。園田も含めて僕ら4人は今からそわそわしている。ホテルも劇場チケットも手配した。一日だけだが、新歌舞伎座の僕らの楽屋は、きっと〝あまな色〟に染まるだろう。

週刊ミュージック・リポート