新歩道橋873回

2014年4月26日更新


 
 窓のない部屋で、2ヵ月間も暮らした。外界から隔離されたそこは、劇場の楽屋で同居人が2人。2月の明治座は友人の真砂皓太と綿引大介、3月の大阪新歌舞伎座は真砂とベテラン俳優の園田裕久だった。朝9時半から夜の8時半まで、毎日11時間余を一緒に生活する。それ相応の広さの畳の部屋、それぞれの化粧台がキャリアのほどをしのばせ、中央にちゃぶ台とお茶のセット、楽屋見舞いで届けられた胡蝶蘭がひしめき合い、差し入れのおいしいものが山ほど―。
 日常生活とはかなりかけ離れた空間と空気である。そこで僕らは、相当な〝躁〟状態の時間を過ごす。相撲なら荒れる大阪場所、プロ野球に週末ごとの競馬、センバツ高校野球だと同郷の学校への肩入れと、とにかく心が動くものには片っぱしから反応し、声をあげる。僕はしばしばそんな〝楽屋〟を〝飯場〟に置き換えて冗談を言った。ひっきりなしに人が出入りする。衣裳係りや床山さん、共演の俳優や芝居を観に来てくれた知人、友人。それらとジョークをかわしながら、終演後の一杯の打ち合わせも...。
 出番が来るごとに、お仲間がふっと部屋を出る。その背中へ、
 「行ってらっしゃい!」
 と、残る側から声がかかる。ひと芝居終えて戻ってくれば、
 「お帰りなさい!」
 である。あれはまとも??な人間社会から、芝居という架空の世界へ行き来する人へのあいさつ、激励、慰労の合図だろうか? 2ヵ月続いた「松平健・川中美幸特別公演」で毎日繰り返された儀式。僕は松平主演の「暴れん坊将軍・夢永遠江戸惠方松」で小石川養生所の医師新出玄条をやり、川中主演の「赤穂の寒桜・大石りくの半生」では、赤穂藩の家老大野九郎兵衛をやった。寛延と元禄の時代への、タイムスリップだ。
 「花道ってのは、スター級の役者の顔見せの場かな」
 ベテラン俳優青山良彦から、酔余、そんな話を聞いた。役柄の扮装と所作で登場こそするが、観客はスターそのものに拍手をし、声をかける。実際に芝居そのものが始まるのは、書き割りや装置で飾られた本舞台に、スターが入った瞬間だとか。そう言えば将軍吉宗が姿を現すと「松平!」大石りくが出ると「川中!」の声が掛かった。花道と舞台が接する部分には、虚実を区切る目に見えないベールがあるということか。
 「何と不思議な、これは奇跡と言ってもいい!」
 と、感じ入ったのはダブル座長という初の試みで見せた松平・川中の親交ぶりである。一般論で言えば、スターというのは唯我独尊、徹底した自己中心主義者。そのうえお互いがライバルだから、表面こそ友好的でも舞台裏までそうとは限らない。昨年の1、2月が名古屋御園座、それに今回の2公演と、同じ演じ物で2人は共演した。寡黙な松平、終始明るめの川中の、どこかに食い違いや行き違いがあったら、舞台裏に隙間風が吹く。それが全く無かったから、劇場内外は真冬から春風駘蕩、裏方さんたちまでほほ笑み返しの往来になった。
 今年芸能生活40周年の松平は60才のへび年、対する川中は58才のひつじ年だが、ともに射手座のB型である。それやこれやでウマの合うめぐり合わせかも知れないが、共通しているのは人間の大きさ、懐ろの深さ。苦労人らしい目配り、気配りがすみずみまで行き届いて、お茶目な仕草ややりとりまでぴったり...である。芯に芸する者同志の敬意や好意、共感があってのことだろうか?
 僕の公私にわたる異次元体験は、大小入りまじって4ヵ月におよんだ。その夢見心地から帰還したのは4月1日、湘南葉山の自宅。眼前の海は陽光に輝き、対岸に富士、近くには漁船やレジャーボート、とんびにかもめが飛び交い、愛猫の風(ふう)は久しぶりの主人にすり寄り、のどを鳴らした。2月の大雪で遭難しかけたつれあいも風邪気味だが元気だ。
 嘘みたいな環境の激変の中で、僕は歌社会に生還した。これからしばらくは、二足のわらじの一足めに没頭するが、まだ夜毎に見る夢は、あの摩訶不思議な劇的世界のあれこれだったりする。

週刊ミュージック・リポート