新歩道橋877回

2014年5月25日更新


 
 〽林檎も桜も一緒に咲いて...
 と、原田悠里の「津軽の花」で書いたのは作詞家の麻こよみ。北国の遅い春の訪れがカラフルに浮き立つ気分で、
 《ほほう、なかなかに...》
 と、合点したのはだいぶ前のことだ。それに桃のピンクが加わり、菜の花や水仙の黄色、こぶしの白などが合流して、
 《う~ん》
 と唸っちまう景色に出っくわした。5月3日、場所は秋田県鹿角郡小坂町――。
 のんびりした田園風景を明治百年通りというのが横切る。一面に満開の桜、僕は湘南と東京で満喫したあとだから、今年二度めの花見気分だ。その片側には芝居ののぼりが林立する。中央に国の重要文化財の康楽館。明治43年に落成、昭和61年に修復した〝築100余年〟の芝居小屋である。
 人力で動かす回り舞台とすっぽん。花道が二本あって客席は昔ながらの桟敷、手摺りも柱も黒々と建築当時のまま...とくれば、こちらが即座に悪ノリするのも無理はない話。東北新幹線で盛岡まで2時間、そこから高速バスで1時間半ほど、高速毛馬内という停留所で降りて、迎えの車に乗ると15分ほどの道のりだ。
 やっていたのは松井誠門下の岬寛太ひきいる「劇団岬一家」の公演。彼と僕は昨年の1月と2月、名古屋・御園座の「松平健・川中美幸公演」で一緒になった。そのうえ名古屋の2ヵ月と今年の2月が明治座、3月も大阪新歌舞伎座で一緒の楽屋、合計4カ月も同棲!?状態だった友人の真砂皓太がゲスト出演する。しかも彼は今年還暦を迎えるのを期に、芸名を「皓太」から「京之介」に変えて、今回がその初舞台...。
 ま、季節も良し、好奇心が刺激され、友人への義理も果たせそうという、一石三鳥、一泊二日の旅である。作曲家の水森英夫と南郷達也で、花京院しのぶの新曲のアレンジ打合せをやり、その足で出かけたから現地に入ったのは夜。
 「やあ、やあ、やあ...」
 「これは、これは、これは...」
 なんてやりとりのあと、お決まりの酒である。
 「どうなのよ。〝京さま〟と呼ばれて...」
 「それがねえ、まだ落ち着かなくて...」
 と、僕と真砂は新しい芸名にまつわるあれこれ。
 「さすがベテランです。お陰様で芝居がきりっと締まって...」
と座長の岬は、決してヨイショではない眼の色を真砂に向ける。
 《それにしても、何でこんな野っ原に、こんな古式豊かな劇場が...》
 という疑問は、かつては金、銀、銅などを産出する大鉱山で盛えた町と聞いて氷解した。明治から昭和へ、流入した西洋の文化、先端の技術、集まったおびただしい労働力...。康楽館はその厚生施設として生まれたそうな。富国強兵、殖産興業の時代を謳歌した、つわものどもの夢の跡...。
 岬一家の芝居は「一心太助・江戸っ子の心意気」で、岬が太助と将軍家光の二役。早替わりの大騒ぎが売りで、真砂は大久保彦左衛門に扮し、長ゼリフの狂言回しに立ち回りまでやる大忙し。芸歴40年、松平健の腹心で北島三郎公演のレギュラー、川中美幸公演にも加わるなど、活躍の幅が広い。それがしっかり芝居の軸になるのは、共演する若者たちが応分の敬意を払い、何かをつかもうとするせいか。一カ月単位で休みなしに地方を回る彼らは、終演後は次の芝居のけいこだ。
 《やるだろうな...》
 と思ったら案の定、舞踊ショーは美空ひばりである。それも「みだれ髪」「川の流れのように」をはじめ「港町十三番地」「花笠道中」「車屋さん」「人生一路」「裏町酒場」...と13曲もの大特集。片っ端から岬がメインで踊って、フィナーレでは白塗りもそれらしく、真砂もからんだ。
 「いつもより、ずっといい。気合いの入り方がちがうみてえだ」
 僕を送り迎えしてくれたスナック「フレンド」のママが、感想を言った。開店30年になるのを娘に任せて、常連客の送り迎えまでやる気さくな行動派だから、なかなかの繁盛ぶり。真砂は車で30分の十和田湖や近くの温泉へちょくちょく案内してもらったという。開演が午前10時と午後2時で上演時間が90分ずつだから、うらやましいくらいに暇なのだ。

週刊ミュージック・リポート