新歩道橋884回

2014年8月4日更新



 京都の夏、コンチキチンの祇園祭気分を味わって、帰京した。7月18日からの3泊4日、3連休がはさまったから大変な人出で、四条通りなど朝から、歩くのに難渋するほどだった。
 「暑かったでしょう!」
 と、友人たちが言うが、物見遊山の旅ではない。19日初日の京都南座公演に参加していたから、日中は冷房の楽屋ぐらし。夜の先斗町探検!? はほろ酔いで、ほとんど暑さ知らず―。
 出演したのは、歌手山内惠介が主演の「曽根崎心中」(岡本さとる脚本、演出)で、前回にも書いたが、僕の役は曽根崎新地の茶屋・天満屋の主惣兵衛。そこの人気女郎お初(秋山エリサ)と醤油商・平野屋の手代徳兵衛(山内)の恋の顛末を見守る。原作がご存知、近松門左衛門の名作だが、岡本演出は古典の魅力を抑えた新解釈。音楽からしてラテンを基調にトランペットとギターが利いているポップス系だし、狂言回しに物の怪じみた〝まがい〟の集団が賑やかに、主人公二人の恋をサポートする。
 しばしば客席から笑いが起こる芝居の、惠介の見せ場はやっぱりお初・徳兵衛の道行きから心中シーン。本人が歌う劇中歌「恋の手本」が流れる中で、心の迷いから決意、実行までの、一人芝居である。この歌は演出の岡本が詞を書き、惠介の師匠水森英夫が曲を書いた。1コーラス10行の長めの詞がトゥー・ハーフ。それがいい感じの歌謡曲に仕上がっている。その2コーラス分を恵介が、端座合掌するお初を前に、仕草だけで逡巡を表現する。
 「4分もあるの!」
 と、当初絶句したという振付け藤間勘十郎の指導よろしきを得て、脇差しを抜く惠介、それをかざす惠介、よろめいて脇差しを落とす惠介、お初をひしとかき抱く惠介、やがて意を決する惠介、お初を刺し返す刀で自分の首を切る惠介、抱き合って崩れ落ちるお初と惠介...。劇場の空気は張りつめるし、ファンは固唾をのむ場面だ。
 〽ただひとすじに、ただひとすじに、恋をつらぬく二人だから...
 歌のサビのフレーズが、二人の恋が殉愛に昇華する刹那の余韻として残る―。
 《なかなかに、やるではないか!》
 子供のころから、万事感情移入多めの僕は、けいこ場から何度も、このシーンで鼻の奥がツンと来た。超勝気なお初を熱演する秋山相手に、惠介徳兵衛は見ているこちらがいらつくくらいに優柔不断なダメ男。それが本人のキャラにぴったり〝はまり〟で、初舞台、初主演で、そんな外題に遭遇したのも、この人の幸運か!と合点がいく。
 継母役は座長芝居のベテラン・自然派の山本陽子、叔父久右衛門役の瀬川菊之丞は端正な芝居で、この二人の景は別格の味わい。色敵の髙羽博樹は声味からしてそのものだし、悪役人の安藤一人とお供の東田達夫が凄みを利かす。朝廣亮二は瞬間芸めいて突出。〝まがい〟はつまみ枝豆が自然児ふう頭目で、薗田正美のひょうひょう、鹿子かのこの奇声と包容力がリード、若手男女がみな元気だ。女郎二人の森川恵古、川和郁子を含めて、記念に列挙すれば田中俊、上地慶、吉村正範、五十嵐貴裕、泉瑠衣、中川央未、間辺ナヲと、これで出演者全員。
 仰天したのは春の公演でお世話になった松平健からの連絡だった。たまたま「王様と私」公演で京都に来ていて、
 「食事でもどう!」
 の誘いを受け、安藤一人と一緒に粛々とお供をする。先斗町で一ぱいやって、祇園へ。扉をあけたら舞妓さんや芸妓さんが山ほど居て目が点になる。70代後半になっても、生まれて初めての体験ってあるのだ!と眼福に有頂天。その店「波木井」の主の下ネタ三味線芸がこれまた絶品だった。次の夜は師匠格の横澤祐一や友人真砂京之助おすすめの先斗町「山とみ」で、京都在住の役者さんと一ぱいやる。仰天したのはもう一件。その翌日、その山とみから何と楽屋見舞いのご祝儀が届いたのだ!
 それやこれやの京都をあとに、少々長めの〝中入り〟があって、月末の30、31日の2日間は、江東区文化センターで〝返り初日〟の4回公演である。それまで僕は心して、天満屋惣兵衛の立ち居振舞いを維持、湘南葉山の自宅で眼下の海に向き合っている。

週刊ミュージック・リポート