新歩道橋890回

2014年9月29日更新



 「小西さんはグリーンに乗るんでしょ」
 芝居のけいこ帰り、横浜まで一緒の女優さんに言われてドキッとした。何とぜいたくな! と、自分でもたまにそう思う胸中を、見すかされた気がしたのだ。実は帰り道がおおむねそうなる。年のせいか疲れが澱にたまるし、大てい誰かと飲んだ後だから酔っている。横須賀線で新橋から逗子までの小一時間、立ったままでは翌日の仕事に差しさわりが出る...と、これが自己弁護である。
 往路もそうする時がある。今日はCDウォークマンで流行歌を聴く。新譜10曲ほどの寸評を書く原稿の、締切りがもう過ぎているのだ。「あれは音楽の点滴だ」とウォークマンを評したのは阿久悠。確かに歌がいきなり脳へ入って来るから、距離をとる聞き方を工夫しなければならない。
 久しぶりに佐々木新一か。「花嫁峠」がのうのうと鄙びた味でなかなかだ。昔、三橋美智也に、当時三橋二世と呼ばれた佐々木の話をしつこくして、怒らせてしまったことがある。銀座を何軒か回って向島へ流れたお座敷。
 「何が言いたいんだ。引退でもしろって話か!」
 お膳をひっくり返してガッと立ち上がる彼、悲鳴をあげる芸者。彼は前年暮れの「紅白歌合戦」で歌った「星屑の街」の不出来が胸につかえていたのだろう。
 あのころからすれば、佐々木もいい年で、声が太めにザックリしているが、それも年輪のうち。関口義明の詞が、娘を嫁に出す父親の心情を、訥訥と書き込んでいる。村境の峠、山の向こうで待つ婿どのは親も認めたいい人。親の欲目で言うのじゃないが、娘は姿まぶしい角かくし...。
 僕は新聞記者あがりだから、基本が新しいもの好き。斬新な設定や切り口、意表を衝く表現などを推称する。しかし、新しければ何でもいいとも思ってはいない。奇を衒うばかりではお里が知れるし、古くたって肌理こまやかに、仕上げきっちりとしたいい仕事は、いいのだ。そんな関口の詞にうまく寄り添った宮下健治の曲も、佐々木の味を生かしているし、南郷達也のアレンジも彼らしく温かくて、いい。
 時折り車内の電光掲示に眼が行く。赤い点字がせわしなく右へ流れて伝えるのは「人身事故」「線路内人の侵入」「信号機故障」「踏切り安全確認」などが理由の「運転見合わせ」や「遅延」で、これがひっきりなし。相互乗入れで運行距離が延びているから、油断がならない。千葉の奥の強風で、横須賀線がノロノロ運転になったりするのだ。
 「どや顔」があるのだから「どや歌」もあるな―細川たかしの「艶歌船」が出て来てそう思う。まあ、歌を張るわ突くわ揺するわ...の大わらわ。芸道40周年記念で、彼は声の確かさと節のあれこれを、ありったけ開陳して聞かせる。千島の沖を行く荒くれ漁師の心意気を、荒々しい筆致で描くのは松井由利夫の詞。この手で行くかい! と増田空人が曲をつけ、丸山雅仁のアレンジもドドンと荒波を蹴立てる趣きだ。こうなれば細川も「よ~し、行くぞ!」になるはずだ。独自の声を支えるのは、一にも二にも背筋の鍛錬。スキーもゴルフもそのためだとうそぶき、先輩たちが寄る年波で声を失うころ、元気なのは俺だけになると、彼が笑ったのは十何年前になるか。
 そう言えば...と思い出す。関口義明は「ああ上野駅」で茨城から上京した僕を泣かせたが、残念ながら故人。松井由利夫も亡くなっているが、彼らは死してなお新譜を賑わすのか!
 9月16日夜、帰路もグリーンに乗る。「酒と女は二ゴウまで」か! 山形の坊さんのセリフを思い出しながら、珍しく飲んだ日本酒2合にほろ酔いである。電光掲示は湘南新宿ラインの「遅延」で昼すぎの震源地茨城の震度5弱の影響がまだ続く。栃木・今市の楽想館の主、船村徹は無事と、電話で確認した。3・11の時は被害が大きかったから気になってのこと。赤い点字が次の事故を知らせる。「山形新幹線つばさ158号は...」ふんふん、どうした? 「奥羽本線(山形線)での...」だからどうしたんだ? 「カモシカ衝突により遅延」何? カモシカ!? 僕はしばらく眼が点になったままになった。

週刊ミュージック・リポート