新歩道橋892回

2014年10月16日更新



 大阪に「詞屋(うたや)」を名乗るグループがいる。作詞家志願!?の男女の集まりで、もう2年ほど毎月例会を開き、作品の合評会をやっている。誘われて3回ほど顔を出したが、勢揃いした面々が、一筋縄ではいかぬ曲者ぞろい。
 「釈迦に説法だろうけど、歌詞ってやつは目で読む詩じゃなくて、耳で聞くものだから...」
 などと、ごく基本的なことからしゃべる僕を、
 「ふむ、ふむ、それで?」
 と見返す眼光が鋭い。
 ボスは演出家の大森青児。元NHKのプロデューサーで、大河ドラマ「武田信玄」や朝の連続テレビ小説「はね駒」「京・ふたり」「ぴあの」などを手がけたキャリアを持つ。国内外の映像祭の受賞も多数で、舞台では川中美幸の「富貴楼お倉・ジャスミンの花咲く頃」(明治座)や「天空の夢・長崎お慶物語」(明治座、新歌舞伎座)を演出した。
 こう書けば「ははん!」と思い当たる向きもあろう。川中公演の二本は僕も出演していて、前者は西郷隆盛役で歌など歌い、川中のお倉を踊らせた。後者は川中のお慶に説教する金持ちの役で、何と川中と差しの芝居、立派な舞台装置を一景、そのためだけに使わせて貰う形で、友人からは
 「あんたの芝居としちゃこれがテッペンのいい役、これより上はもう、主役しかなくなる」
 と、感嘆の辞をもらったほどの好遇に恵まれた。その人からのお声がかりで、話が話だから、僕は粛々と大阪詣でをすることになる。
 メンバーがまた、多士済済なのだ。著名脚本家の森脇京子、大学准教授の槇映二、小説家の杉本浩平、NHKカルチャーセンターの講師丘辺渉、英語塾講師のいいみか、シンガー・ソングライターのmegriらが中心、他にも本業では名のある紳士が何人かいて、それぞれの道のプロだ。冒頭に「作詞家志願」と書き「!?」を付けたのは、巷によくあるこの種グループとの差異におそれをなしてのこと。
 《だが、しかし...》
 と、僕は踏み止まる。僕が芝居を始めた時もそうだが、新しい道に入れば誰だって最初は素人、それが珍しがられたのは、70才の新人だったせいで、詞屋の面々だって、こちらの世界では素人扱いで文句はないはず――と、まあ、開き直って講釈をたれるしかない。演出家も脚本家も小説家も、書くものに本業の段取り臭が強めだから、まずそれを排除する。もう一つ、流行歌ってこういうもんだろう! と、既成の歌の発想や枠組みから入ろうとしてはいけない。せっかく特異な顔ぶれが揃っているのだから、その特異性が前面に出た歌が生まれなければ面白くもおかしくもない。
 ミーティングの後はお定まりの酒宴だから、こちらの言い方も少し乱暴になる。流行にかかわるジャンルは万事、異端児が先端に立つ。それが従来の常識や権威を押しのけるのだが、大きな実績を作ると彼らが新しい常識や権威になり、やがて次世代の異端におびやかされたりする。そんな輪廻が行きつ戻りつ、ラセン状に進むから世の中、面白いんじゃないのか!
 歌づくり、コンテンツが東京に一極集中するのはいかがか? と、大阪の巷のミュージシャン発掘のコンテストを10年やったのは、もず唱平である。そうだそうだ! と面白がって、僕は10年手伝ったが、グループ詞屋に期待するものも同じこと。
 「浪花発、詞屋傑作集の名乗りを挙げなくちゃ!」
 と言ったら、得たりや応の騒ぎになった。何と彼らは集団結成2年を記念して、アルバムを作る計画を進めていた。しかも、誰が何と言おうが、自分の歌はこれ! と、自薦の作品だけを揃えて世に問うのだ! と、ノンアルコール・ビールでぶち上げるのが主唱者の大森演出家。作曲は誰が? 編曲は誰が? 歌は誰が? スタジオ代も含めて経費は? と、聞いてるこちらがだんだん世知辛く思えて来る意気のあがり方で、全部「何とかする!」が結論。こうなれば僕も一蓮托生だが、何とも度し難いエネルギーで、CD制作の常識まで、彼らは彼ら流で突破する気でいる。完成目標は来年の3月、どんな私家盤に仕上がるのか、僕はドキドキハラハラである。

週刊ミュージック・リポート