新歩道橋897回

2014年11月30日更新


 あろうことか、海江田万里氏の席で酒を飲んだ。民主党の代表である。それが11月18日夜の帝国ホテル。その前には僧侶の矢吹海慶氏としたたかに飲んだ。16日夜の山形・天童市のホテル舞鶴荘。片や全国区、片や地方区の有名人で、縁もゆかりもないはずだが、双方の酒が、流行歌でつながったから面白い。

 帝国ホテルで開かれたのは日本音楽著作権協会の創立75周年パーティーである。JASRACの通称で呼ばれるこの組織は、都倉俊一会長の言によれば、創立100年を見据えて「音楽の創作とその普及、流通、利用のための新たな環境づくりを目指す」著作権の保護、管理団体で「21世紀は成長著しいアジア芸術文化の中心となる可能性」を持つ。

 当然のことながら、欧米からアジア諸国の関係者もまじえて、一段とグローバル化が目立つ盛大な催しになった。主賓クラスのテーブルには、安倍晋三首相以下、与野党の国会議員が大勢顔を揃えるはずだった。ところが、18日のこの夜、首相が衆議院解散を表明する。議員たちは一部を除いて、大幅な欠席を余儀なくされた。

 《ま、それはそれとして、弱ったなあ、全く...》

 僕は主賓のテーブルにポツンと一人、取り残されたようにいる作曲家船村徹の姿に、気をもんだ。シャイな音楽界の重鎮が、黙然と目を伏せて端座している。都倉会長も来賓代表の髙円宮妃殿下も、あいさつの一部が英語というセレモニーで、ちょこちょこ声をかけに行ける雰囲気ではない。その間僕は旧知の歌社会の人々に低頭して回り、座がなごみ崩れるのを待って主賓席へ突撃した。

 船村の座の右隣に、海江田代表の名札があった。

 「ちょっと、失礼!」

 と、声をかけ、その欠席者の名札を裏返して、僕はそこに居座る。知遇を得てもう50年、物書きの師として接する作曲家は、ヤレヤレ...の笑顔を崩した。かと言って、衆人環視の中だから、じっくり懇談する訳にもいかない。会の終了まで船村の問わず語りに相づちを打つほどのよさ。係りの女性がせっせと料理と酒を運んで来るから、ついにおでんまで賞味した。雑文屋は人の波を泳ぐのが商売、パーティーで、こんなに飲み食いをしたのは初めての経験だ。

 山形の天童で開かれたのは日本のレコード歌手第一号と称される佐藤千代子を顕彰する全国カラオケ大会。予選で110人、選ばれた10人で決選と、のべ120人をワンコーラスで審査、流行歌漬けになる。この会にはもう12年ほど通って、芋煮、せいさい漬けで酒は出羽桜、飯はつや姫...と、地元の名物の虜になっている。

 何年続けても相変わらず、段取り下手クソの大会である。それというのも関係者全員がボランティア。玄人皆無の手作りイベントのせいで、そのかわり福田信子率る天童バル(とうの昔にギャルではなくなってバル...)があたふた、声をかけ合って誠心誠意だ。それが何ともほほえましく、土地の人情に触れる心地で、酒の味も一段と濃いめ。北国の冬の厳しさ尻目に、前夜祭、本番、後夜祭の1泊2日だ。

 このなごやかイベントを取り仕切るのが、市の実力者で実行委員長の矢吹和尚。舌がんのリハビリをカラオケで克服した80才超。

 「親しい人が2人逝った。お布施がたんまり入った。パーッと行こう!」

 「酒と女は2ゴウまでだぞ!」

 などと冗談を連発して〝和の輪〟を作る。時にはやり歌を歌い、興に乗れば踊る闊達さで、生臭ささと含蓄の妙が混在する会話が楽しい。僕が人物に魅せられて毎年の旅をするのは、たらこの親父の道場登氏に会いに行く北海道・鹿部と、矢吹和尚の山形・天童の二カ所になっている。

 天童では、ブレークした福田こうへいのヒットが目立った。民謡調で歌声張り上げる人が多いのは、時間がゆっくりと過ぎ、山も海もおおらかな北の人々の気風か。そのひなびた歌現場から、帝国ホテルのグローバル音楽イベント参加である。僻地(失礼!)から世界へ。関係なさそうな二つが、しっかり歌の道でつながっているのが、いかにもいかにも...だった。

週刊ミュージック・リポート