新歩道橋899回

2015年2月1日更新


 長嶺ヤス子の踊りは、野卑な官能と思索の静けさが交錯する。圧倒的な前者と、一瞬の間(ま)でかいま見せる後者だ。フラメンコをとことん追及、その後長いこと独自の長嶺流の世界に耽溺し、今またフラメンコに回帰する気配がある。11月21日から新宿のエルフラメンコ、12月9日はゆうぽうとホール、その前後がけいこと、彼女は師走を踊りまくった。
 《それにしてもまあ、よくやるよ...》
 と、僕はなかば呆れる。
 踊っても踊っても、もうかりはしない種の興行である。それでも彼女は、スペインからダンサー、歌手、ギタリストを呼ぶことにこだわる。本場の人々としっかりと意思の疎通をはかる。有無通じる間柄にならなければ踊れない。
 「ヤス子は、立っているだけでもフラメンコだなんて、彼らは言うの」
 と、コメントも笑顔も無邪気だが、こと踊りに関しては徹底して一流のプライドを守るのだ。
 僕は50才のころに彼女と出会った。「さて...」と、自分の行く末に思い当たり、浮かぬ気分でいるところへ、彼女は、
 「ニューヨークで踊る。それから何としても、サロメを踊る」
 と、口調がやたらに熱っぽかった。僕はお尻を叩かれ、眼からうろこをはぎ落とされた。それから30年近く、彼女は今、来年5月公演のチケットをもう売りにかかる。その収入で今回の経費をまかなう自転車操業。そんなギリギリの中で、この人は一体いつまで踊り続けるのだろう?
 12月6日には有楽町朝日ホールで、出口美保のシャンソンを聞いた。大阪を拠点にする人だが、毎年この時期に東京へ遠征する。
 「思いばかりが積り、はがゆさばかりが重く、思い出にふけっている間に、時は容赦なく流れ...」
 という彼女は喜寿、長嶺も僕も、ほぼ同い年だ。 「サンジャンの私の恋人」「コメディアン」「ラ・ボエーム」などと並べて「真夜中のギター」や「神田川」まで歌う。長嶺が歌舞伎座で「飢餓海峡」を踊った時、誘った作詞者の吉岡治が驚嘆したものだが、出口の「真夜中のギター」を聞かせたら、どういうふうに興奮したろう。サビまで呟くように語ってしまう思いがけない語り口。しわがれた声と独特の存在感。ある曲では町の隅にうずくまる老婆がおり、別の曲ではパリの街角をそぞろ歩く若い恋人たちがいる。曲ごとに交錯するのは陶酔と覚醒の妙だろうか。
 《レジェンドだな、この人も、長嶺も...》
 スキーヤーの葛西紀明がまた、W杯を制して〝レジェンド〟の異名を誇示したこの月、僕は日本の劇場で芸するレジェンド二人を目撃した。シャンソンから出発、彼女流の日本の歌を構築している出口の足取りも、そう言えば長嶺に似ている。
 《そう言えば...》
 で僕は、もう一人のレジェンドを思い起こす。親交のあるサザンクロスの粕谷武雄顧問。僕は11月24日、彼に会いに伊東へ出かけた。職場のサザンクロスで開かれたのは、彼の傘寿と在籍50年を祝う会があってのこと。星野哲郎が長いこと、伊豆の清遊の拠点にしたのが縁で、僕も彼とゴルフと酒のつきあいに恵まれている。
 「別に傘寿は驚かないよ。79才の次は80才、元気でさえ居れば誰でも到達するんだから...」
 と、憎まれ口を叩いたが、それより凄いと思ったのは、30才で飛び込んだ職場に50年勤務したキャリアだ。こればかりは、並のサラリーマンではとうてい成し得ない記録、そのうえに、
 「伊豆温泉活性化への協力、サザンクロスの発展に、微力ですが今しばらく働きます」
 と、現役宣言をするのだから、これも〝巷のレジェンド〟だろう。
 「天城越え、無理に歌わせ聴くわれの、右手に残る君のぬくもり」
 伊豆八首と題した自作短歌集の冒頭に、これがあるのだから恐れ入った。
 各界に若い才能の活躍ぶりが頼もしい。その一方、高齢社会のレジェンドたちも、手応え確かな実績を重ねる。この欄、今回が今年の最終回。長いご愛読に感謝を申し上げたい。新年は皆さんに、いい事ばかりが多いことを祈ろう。
週刊ミュージック・リポート