新歩道橋900回

2015年2月1日更新


 「以前、星野哲郎先生に言われたことがある。賞というものは、くれると言われたら迷わずにもらえ。一度辞退したら、もうもらえなくなるぞと――」
 作詞家志賀大介の発言は、最初から言い訳になった。1月14日夜、JR四ツ谷駅前のスクワール麹町で開かれた日本音楽著作家連合の新年懇親会の席。発表、授賞の運びになった平成26年度藤田まさと賞で、彼が作詞した「人生一勝二敗」が表彰されたせいだ。彼はこの会の会長で、当然この賞を審査する会も取り仕切ったろう。そんな立場上、いかがなものか...と思い惑ったらしい。
 「しかし...」
 と、志賀の言い訳はまだ続く。自分だけが固辞したら、この作品を作曲した岡千秋、編曲した南郷達也、歌唱した三門忠司、制作したテイチクエンタテインメントの皆さんに、申し訳が立たない。
 「だから...」
 と、熟慮の末に苦渋の決断!? をしたという。恐縮ありありの小声が、マイク遠めだから聞き取りにくいが、一緒に受賞した面々は、満面の笑みだ。こいつは春から縁起がいいや! の気分だろうし、いつも控えめで場慣れしていない志賀の、人柄が丸出しと思えもしたろう。
 大作詞家藤田まさとの業績を顕彰、記念する賞で、制定委員と連合の役員が審査する。テレビ放送もマスコミのカメラの放列もなしの地味づくり。その分だけ公正無私なんてお題目は唱えないし、歌業界の思惑もからまない。いってみれば歌書きたち互選の賞だが、それだからこその操と志は保たれていよう。志賀発言は、暗にそこのところに触れたかったのではないか?
 歌社会多事多難の中で、人肌のほほえましさが目立つ集いであり、賞である。表彰状を読み上げるのが、副会長の弦哲也で、殊勝な顔で受け取るのが岡や南郷、それを見守るのが理事長の四方章人となる。弦、四方、南郷は僕らの仲町会のメンバーだし、岡は毎夏、一緒に北海道・鹿部へ出かけて、ゴルフと酒三昧で遊ぶ仲。
 「何だか、ゴルフコンペの表彰式みたいだなァ」
 と言ったら、隣りにいたたかたかしがクックッと笑った。彼が取り仕切るコンペ演歌杯にはみんな参加していて「人生一勝二敗」の制作者テイチクの太田輝部長など、昨年の優勝者だった。
 会場にもう一人、しきりに恐縮する顔があって、歌手の松前ひろ子。今回の藤田まさと賞の特別賞を、彼女の事務所の後輩三山ひろしの「あやめ雨情」が受賞した。しかし当の三山が仕事で欠席したから、松前は代理でお辞儀の連続になる。こちらの受賞者には作詞の仁井谷俊也、作曲の中村典正、編曲の前田俊明らの顔が並んだ。
 前田も仲町会だから、気安く、
 「俊ちゃん、この賞は今回で何回めだ?」
 と聞いたら「ウッ」と返答に窮した。演歌、歌謡曲系が主の賞だから、売れっ子アレンジャーがからむことが多い。リストで調べたら、前田が7回目で最多、南郷も6回目と、なかなかの賑いだ。志賀は「手毬花」(平成17年) 「はぐれ舟」(同22年)に続いて今回が3度め。仁井谷は「人生しみじみ...」(平成10年)「秋月の女」(同25年)の藤田賞に今度の特別賞で三度めのおめでたという勘定。岡千秋は松原のぶえの「演歌みち」(昭和60年)神野美伽の「ふたりの旅栞」(平成10年)に次いで三回めで、吉岡治、荒木とよひさの詞だったと、こちらはスラスラと答えた。見かけによらず律気なところがあるのだ。
 その岡が風邪で熱を出していたから「貰うもの貰ったら帰れよ」とすすめたが「いや!」と踏ん張った。この会呼び物の福引きは、岡と徳久広司が蛮声張り上げて進行するのが恒例で、二人はいつも通りの大役!? を見事に果たした。
 ところで志賀が先輩のひそみにならったという星野哲郎の受賞歴は「雪椿」ほかで三作。温顔の眼許しわしわさせながら、案外しぶとかったな...と、僕は亡き師をしのんだ。
週刊ミュージック・リポート