新歩道橋904回

2015年3月1日更新


 あさみちゆきを聞いている。「月猫」という新曲で、主人公が猫見立てなのが気になった。男にはぐれた女が、自分を猫にたとえる嘆き歌は、ままある手だが、これがなかなかにいい。
 〽撫でて、撫でてくれたなら、可愛い声して泣いてあげる...
 〽腹を見せて寝ころべば、どこまで本気で、惚れてくれる...
 なんてフレーズが、猫の媚態に通じる妙があるのだ。作詞・作曲は宮田純花。勉強不足で申し訳ないが、初めて見聞きする名の人の感性に《ほほう!》となる。
 と、突然、本物の猫が登場する。わが家の新顔の「パフ」で、全身まっ白なところからその名がついた。生後6カ月くらいか、背中にケガをしているのが不憫...と、つれあいが引き取って来た奴だから、生年月日も出生地も定かではない。それが好奇心の塊で、家の中の事柄の何にでも首を突っ込む。今回は、あさみの歌声に耳を傾ける素振りをし、スピーカーの後ろに回り、周囲を嗅ぎ回っている。声の主を確認したいのだろう。
 「月猫」のヒロイン!? は飼われもしない、捨てられ猫。闇夜ばかり歩いて来て、ささくれだった生き方だが、月が丸い夜は夢もみる。置いてかないで、ほっとかないでと、想い出雨にずぶ濡れになることもあるらしい。
 「それに較べりゃ、お前はなあ...」
 と、僕はわが家の新顔相手に説教口調になる。「パフ」は従順な時に似合いの名で、これが時折り「デビ」に豹変するのだ。どういう時にスイッチが入るのか判らないが、突然家中を全力疾走、もとから居る先輩猫の「風(ふう)」に襲いかかる。嫌がって逃げるのを追い回し、馬乗りになって引き倒す。不器用な甘え方なのだが、そのパワフルさはまさにデビル―。
 つれあいは「風」のストレスを気遣う。長いこと僕ら夫婦の愛情を独占して8年、若い闖入者のやりたい放題に、対応しきれないままだ。
 「風、逆襲しろ! 頑張れ!」
 と激励しても、渋い顔でそっぽを向く。そんな日々が続いたせいか、近ごろは言動やたらに慎重になって、気のせいか老け込んだようにも見える。
 どこの国かは忘れたが、ヨーロッパのある猫島に伝わる話がある。犬は餌をくれる人を、自分にとっての神と考える。ところが猫は、
 「こんなにちゃんと餌をくれて、自分を大事にしてくれるのは、私が神だからに違いない」
 と合点すると言うのだ。
 いかにも、いかにも...と僕はそんな犬猫の生きざまの区別に賛同する。そうするとわが家には、老若二人の女神が居る勘定になる。何しろ神同志のことだ、いずれうまいこと折り合いをつけるに違いないと、ハラハラしながら見守るしかないか!
 あさみの歌声が気に入ったのか、テレビを見ていた「パフ」が、また戻って来た。妙にすっきりと鼻筋が通った顔に、眼張りを入れたみたいな丸い眼が、なかなかである。胴が長いのは背が髙いことに通じそうだし、白い体毛も長め。四肢が太いから相当デカくなりそうだ。
 《もしかすると...》
 と、僕は「パフ」の出自を考える。彼女には外国猫の血が混じっているのかも知れない。そうでもなければ「デビ」と化した時の、あのエネルギーとバイタリティーと瞬発力の説明がつかない。
 2月18日、前夜から関東も雪とテレビの天気予報が大騒ぎしたのが、うまいぐあいにほとんど雨。それが小雨に変わった夕方の5時半過ぎ。湘南葉山の海の向こう側に、細い帯を横に張ったような夕焼けが出現した。ところどころに陽が差して光の柱が出来ている。
 《あれは確か〝天使の階段〟と言うんだ》
 僕はベランダ越しに、そんな珍しい光景に眼をやった。夜の仕事が突然キャンセルになって、ずいぶん久しぶりに夕方の帰宅。あさみの歌と猫のあれこれに恵まれた裏事情である。
 「パフ」は今、僕の机に上がり、この原稿を書く万年筆の動きに、ちょっかいを出す。年増女然として来た「風」は、リビングの定位置で、不貞寝をしている。
週刊ミュージック・リポート