新歩道橋906回

2015年3月31日更新


 《15周年か、おとなになったな、あいつも...》
 いわば記念曲の「雪國ひとり」を聞いてから、永井裕子に会いに行った。3月2日の浅草公会堂。「コンサート」ではなく「リサイタル」と銘打っているから、本人にそれなりの覚悟もあろう。新曲はちゃんと〝おとなの女〟の恋唄になっている。万城たかしの5行詞に、師匠の四方章人の曲。起承転結きっちりと、メリハリの利いたメロディーを、高音に哀切感にじませて、永井はすっきりした歌に仕立てた。ビブラート抑え気味、小節はあまり回していない。
 浅草公会堂は、通い慣れたところである。沢竜二の全国座長大会に何度も出してもらっていてのこと。いつもみたいに、
 「おはようございます」
 のあいさつで、楽屋口の守衛さんの前を素通りだ。おおよそこの辺...と見当をつけた本人の楽屋。その手前に彼女の両親が居て「やあやあ、これはこれは」のあいさつになる。永井の故郷、九州・佐賀から、娘の晴れ姿を見に来た二人。素朴な受け応えが、デビューのころから少しも変わっていない。
 開演前、まだ普段着の永井が飛び出して来て、いきなりハグである。デビュー前からのつき合いだから、こちらは驚きはしないが、少々テレる。年が年だもの...と、わが身を振り返るのだが、相手は委細お構いなしだ。
 《何だ、ちっともおとなじゃないじゃないか!》 肩をすくめて客席へ移動する。まだ客入れをしたばかりで、劇場ロビーはごった返している。歌手仲間や作家たちの祝い花がズラリ。CD売り場では、売り手の声が盛んだ。それをかき分けて指定された席につく。会場内でも裕子グッズの売り手が、通路を回っている。一きわ声が大きい小柄な娘が、そばに来ればこれが井上由美子。永井とユニットを組んでいてのお手伝いだが、声をかけたら飛び上がらんばかりに驚いたりするから面白い。
 「菜の花情歌」から始まるオリジナル・メドレーに、多少の感慨が生まれる。あれは作詞が阿久悠で、続く「哀愁桟橋」が坂口照幸「男の情歌」がたかたかしの詞だ。デビューから10年余、作曲を四方章人一人が頑張ったから、ディレクター古川健仁と知恵を絞って作詞家を曲ごとに変えた。池田充男、木下龍太郎、ちあき哲也...。「石見路ひとり」は吉岡治の詞で、石見銀山が世界遺産に登録されたのを機に、現地へ出かけて作った。そう言えば「望郷岬」も吉岡の詞で、この時は東伊豆町へ出かけた。あっけらかんと明るい永井のキャラが愛されて、歌の地元は彼女の〝第二のふるさと〟になっている。
 《元気さが売りのころの作品ということか》
 NHKのカラオケ番組で注目された永井を、スカウトしたのが四方章人。その相談に乗ったことから、僕は永井のプロデュースを10年ほどさせて貰った。最初からいつ人前で歌わせても心配のない上手さと、独特の声味を持つうえに、歌唱がパワフルで、小節を回そうと言えばクルクル、唸れと言えばいとも簡単に唸った。
 《もしかすると、あのころとは声の当てどころを変えているのかも知れない》
 客席で僕は、かつての永井と新曲「雪國ひとり」との差異にこだわっている。声をノドに近い下の方で鳴らせば、野太いパンチが響く。それを鼻の裏あたり、高い方に当てれば、身上の愁い声の悲痛な部分が、味わいを深める。もしそんな使い分けをしているとすればこの娘は、なかなかの技巧派に思える。声の当て所を何カ所か持ち、それで何種類かの声味が出せるとなると、これは非凡、そこのところが永井裕子の、成長の証なのかも知れない―。
 浅草の宵の口、会場へ来ていたはずの四方たちとは出会えずじまいだが、そのまま電車に乗る気にもならない、うまい具合に雷門そばのホテルの裏側に、たたずまいそこそこのそば屋を見つけた。そば味噌で熱燗をチビリチビリ、家に帰ったら「雪國ひとり」をもう一度聞き直そう...と、またチビリチビリ。ごくたまにのことだが、ひとりぼっちの浅草も、なかなかに乙なものと合点がいく。フィナーレに「愛のさくら記念日」が生きた。あれは永井のデビュー曲で、作詞はうえだもみじだったな。
週刊ミュージック・リポート