新歩道橋909回

2015年4月26日更新


 神田のビジネスホテルに泊まっている。4月8日から19日チェックアウトの11泊12日、ここから日本橋の三越劇場へ通う。東京メトロ銀座線で一駅、面倒を見てくれているアーティストジャパンの佐野君は、
 「歩いても10分ちょっと...」
 と、事もなげに言うが、その手には乗らない。今や元新聞記者の土地カンも相当衰えているし、前夜の酒が残っていたら、開演前に迷子になりかねない。クワバラ、クワバラ...である。
 名取裕子主演の「居酒屋お夏」(原作、脚本、演出岡本さとる)19日まで11日間15公演が、今回の演しもの。幻冬社刊の原作は読んだし、けいこもしっかりやったから、僕は俄然〝その気〟だ 。居酒屋の毒舌女将が一転、悪をこらしめる〝必殺もの〟女性版の痛快時代劇。涙と笑いをまぶした2時間余が、演じる側も大いに楽しい。共演の面々とも、けいこの間に気心が知れた気がして、楽屋での世間話も笑いが絶えない。
 「下世話」と「妖艶」が入れ替わる名取が、舞台の表裏ともに「才気煥発」なら、料理人が突然刺客に早変わりする河原崎国太郎は「実直」と「冷血」の二面を示す。居酒屋の客で大道芸人の目黒祐樹は、お人柄も含めて「滋味」あたたか。彼と相思相愛の成り行きになる夜鷹の樹里咲穂は、宝塚出身の花やかさを秘めて「一途」な生き方...。
 見ものは東西の大衆演劇の名うて、門戸竜二と津川竜の競演である。門戸は松井誠の流れをくむ二枚目だが、今回は十手を嵩にきる悪役。時おり、いかにもいかにもの見得を切って「華」を見せる。一方の津川は関西で名の通った剣戟はる駒座の総座長で長男津川鶫汀に一座を任せ、もう一つの一座も仕切るやり手。といっても息子はまだ21才だから、壮年の働き盛りだ。こちらはやくざの親分で、目明しの門戸と結託する悪漢を、津川一流のセリフ回しで凄味を利かせる「巧者」ぶりをじっくり。大衆演劇大好きの僕は、同じ舞台にいるまま二人のやりとりに
 「よッ! ご両人!」
 なんて、うっとりしてしまう。
 同世代のよしみで、気安くつき合って貰う青空球児は、口入屋の親方で、名取と毒舌の応酬をする「怪演」が笑いを誘う。共演者がうらやましがる二枚目の〝いい役〟関戸将志は、やくざの乱闘シーンで突然スイッチが入ったような「瞬発力」を見せ、けいこ中から僕はあっけにとられた。川中美幸・松平健合同公演ほかで一緒になり、すっかりお仲間気分の田井宏明、安藤一人、線引大介らからは、いろいろ教わり、、何くれとなく気を遣ってもらいながら、終演後は「お疲れさま」と本物の居酒屋へ繰り出すのが楽しみ。
 「ところでお前は、一体、何をやってる訳?」 と、そろそろお尋ねのころあいだが、これが女房に先立たれてちぢこまっているご隠居役。居酒屋の常連で孫みたいな年かっこうの森山アスカが、銀杏がえしの髪で可憐に小首かしげるのに、習字の手ほどきなどやっている。はばかりながらの見せ場は、名取お夏が天女と化したあで姿に出っくわし、俄然精気を取り戻して、大変身の高笑い。
 「あんたもこの8年ほどでいろんな役に恵まれて来たけど、こういうのは初めて。いい勉強をさせて貰っているねえ」
 などと、友人知人に冷やかされたり、激励されたりしている。
 それやこれやの舞台裏、日々是好日で過ごしていて、はっと気づけばペースメーカーは演出の岡本さとる。関西弁のジョークでみんなを乗せながら、うまいこと自分のペースに巻き込む指導ぶり。若手役者たちなど、やらせてみて、考えさせて、それならこうすれば...と、次第に彼の術中にとり込んでいく。連発する冗談に、つられて一緒に笑っていると、この先生、眼が時々笑ってなどいないから、ひやりとする。
 劇場を出ても僕は、人格の四分の一強はずっと、初老の隠居・六兵衛のまま。この二重人格ぶりというか分裂感というかが何ともいい気分なのだから、芝居は当分やめられそうにない。
週刊ミュージック・リポート