新歩道橋913回

2015年6月7日更新


 《コンサートもこうなると、相当な力仕事だ》
 5月20日夜、渋谷公会堂で中村美律子を観て、つくづくそう思った。一部が歌謡浪曲の3本立てで「壺坂情話」が16分「浪花しぐれ」が14分「瞼の母」が19分である。浪曲はふつう演壇に立っての一人語りだが、この夜の中村は複数の登場人物になるから、セリフの部分で立ち位置が変わり、それらしく動く。舞台そでに引っ込み、また出て来たりするし、「浪花しぐれ」の春団治では、落語までやった。
 ステージは照明が変わるだけの、全くの一人舞台。演しものが終わるごとに緞帳が降りて、その間に彼女は衣装を変える。客の僕らはそんな隙き間を荒木おさむの短い漫談で笑っていればいいのだが、中村はきっと、舞台裏を走っていたろう。そのあとの二部で彼女は10曲ほど歌い、この内容で昼夜の2回公演である。終演後に会ったら、
 「もう、体がヘロヘロ...」
 と本人が笑った。それはそうだろう、年だってもうそう若くはない。
 《芸が身を助けるのだ》
 とも思った。少女のころから櫓の上で「河内音頭」を歌い、娘時代は無名のままキャバレー回り、大阪ではちょっとした顔になったが、春日百合子に師事、浪曲を勉強したのも生活のためで、これなら年をとっても舞台に立てるという胸算用があった。チャンスに恵まれて全国区の歌手になった遅咲き。来年が歌手生活30周年だが、歌手活動となると
 「もう50年になるか?」
 と聞いたら、
 「それよりは、ちょっと短い」
 とテレて、中村はまた笑った。
 歌手たちが近ごろ、よく歌謡浪曲をやる。長尺物を頑張れば力量を誇示できる妙があってのこと。二葉百合子に弟子入りして勉強する人気歌手も多い。そこへ行くと中村には、叩き上げの強味があって、ものが一味違う。客もよく知っていて「待ってました!」「日本一!」などと、それらしい掛け声で大いに楽しむ気配だ。そういえば中村の演歌は、主人公になりすまして心情を訴えるよりも、歌一曲を物語と捉える第三者ふうな視点の、語り方が魅力だろうか。
 二部に「夜もすがら踊る石松」と「下津井・お滝・まだかな橋」が出て来た。ステージで中村がいきなり僕の名前を挙げたから驚いたが、彼女の20周年記念で僕がプロデュースしたアルバム「野郎たちの詩」に収められていた2曲だ。
 「石松を書いてよ」
 と注文したら阿久悠が、
 「俺がかい?」
 と目をむいたのが「夜もすがら...」で、作曲は杉本眞人に頼んでラップふうにした。「下津井...」は競艇三昧だった喜多條忠に、
 「作詞家としちゃ、まだ賞味期限が切れてないから、また歌を書こう」
 と乱暴なことを言って、この世界に引き戻した一曲で、弦哲也が味な曲をつけた。アルバムの狙いそのものが、彼女の〝語り部〟としての魅力を強調した作品郡。発表して間もなく中村が、東芝EMIからキングに移籍したため、宙ぶらりんになったアルバムだが、
《ま、企画としちゃ的を射ていたかな》
 というのが、10年後のこの夜の再確認になった。
 中村の新曲は「潮騒」である。2月に出来たてのほやほやを聞いた時、
 《ン?》
 と胸を突かれた記憶があった。久仁京介の詞の三番のフレーズ、
 ?月の岬の灯台よ、恋の闇路を照らしておくれ...
 あたりに色濃かったが、
 《これは美空ひばり、ことに「みだれ髪」のオマージュではないか!》
 という思いつき。
 この夜、居合わせた久仁にそう尋ねたら、
 「いや、そんなことは考えなかった」
 と答えた。ところが作曲した徳久広司は、わが意を得たり! の笑顔で、
 「その通り、あれはそういうオマージュそのものですよ」
 と肯定した。アレンジの南郷達也も「そう、そう!」と言わんばかり。三人がしっかりいい仕事をしている作品なのだ。
 中村美律子のコンサートの一夜、僕は彼女の歌謡浪曲を堪能し、10年前の旧作に出っくわし、歌一つから感じ取った歌書きの胸中を確認した。何とまあ、収穫の多い数時間だったことか!
週刊ミュージック・リポート