新歩道橋916回

2015年7月11日更新


 ラトビア、バルト3国の一つ、ソ連から独立して「百万本のバラ」を生んだ国...と、その程度のことは思い浮かぶ。それに歌手加藤登紀子の笑顔がダブるが、世界地図の中でここ! と、明確に指させる自信はない。そんな国で生まれたこの歌を、加藤は彼女の50周年記念コンサートのテーマに据えた。6月14日夕、NHKホールで歌った彼女は、ラトビアから初来日したリエパーヤ交響楽団21人と共感を共有した。
 貧しい絵かきが女優に恋をして、町中のバラを買いしめ、広場をそれで埋め尽くす。それを見た女優は、どこかの金持ちのいたずらかと思う。絵かきが小さな家もキャンバスも売り払っていることを、彼女は知らない。二人の出会いはただそれだけで終わるが、絵かきの青年には、尊い思い出が残った―。
 黒沢歩と加藤が訳詞した「百万本のバラ」の要旨だが、加藤はこれに原語の歌とナレーションを加えて「百万本のバラ物語」とし、コンサートの最後に歌った。ラトビアで子守唄として生まれた歌が、国がソ連に併合されるとロシア語の絵かきの歌に変わった。ソ連とドイツの戦場になるなど、大国間の利害に翻弄され続け、大きな犠牲を払った小国が、やがて独立をかちとるまでの「歴史」と「運命」が、この歌の背後にある。
 同時にこの歌には、抑圧と闘った人たちの平和への「祈り」と「愛」が託されており、加藤はそれを広く大きく歌い伝えていこうとする。プログラムに彼女が書くように「国境線は国を分けるのではなく、繋げるためにある」ことを訴え続けるのがその真意か。
 交響楽団との協演のせいもあろう。いつもと違って彼女の歌は〝張り歌〟に終始する。二つの原語の歌唱に三つめの日本語詞を加えて、高音の響きが劇的にたかぶる。この夜の彼女の昂揚の気配が濃い。中、低音は例によって、ひび割れ加減の声味が、この人らしい存在感をにじませる。トーク部分は淡々と穏やかで、そんな要素が絡み合うドラマを、ラトビアの人々の音楽が包み込み、下支えをし、客席へ浸透させた。
 《結局この人は50年の歌手生活で、加藤登紀子というジャンルを興したのだな》
 と客席で僕は合点する。シャンソンコンクールで優勝してプロになり、歌謡曲でスタートした。アンコールで歌った「知床旅情」をはじめ、日本のいい歌の再発掘もした。「時には昔の話を」から「難破船」「愛を耕すものたちよ」などは、その時々に歌で発言したシンガーソングライターとしての成果。「百万本のバラ」に代表されるのは、世界各国で見つけたいい作品の伝承で、この半世紀の渡航先はプログラムのA4版2ページ見開きにぎっしり。こんなに世界中を歩いた歌手は他にいるだろうか?
 そしてシャンソンに回帰すれば「愛しかない」「愛の讃歌」である。どの国の歌も全部、彼女が日本語の詞を書き、歌い直している。選曲から意訳、訳詞までに、彼女の精神が反映され続けた50年。客席の常連は長い間彼女の歌から、加藤の生き方、戦い方に、手記やエッセーでも読むような心地で接して来た。高校時代の60年安保、歌手になっての70年安保闘争中のあれこれ、全学連指導者との獄中婚、出産、夫君との農園開拓と彼の死別しての継承...と、ざっと書いただけでも、その半生は波乱に満ちている。
 そんな加藤も71才になった。柔和な笑顔でジョークをまじえながら、コンサートを進めた彼女には、それなりの円熟がある。戦う意思をあらわに口にすることはなかったが、物議をかもした「はだしのゲン」の「広島愛の川」を歌い「青いこいのぼりと白いカーネーション」では、東北大震災への彼女のかかわり方を歌った。聡明な熟年女性の芯にある、強い意思のあらわれだったろうか。
 6月5日、埼玉・越谷からスタートした記念コンサートは、この夜、7回目のNHKホールが最後になった。翌日はラトビアから来た交響楽団の面々が帰国するという。コンサートの最後、客席総立ちの喝采を受ける加藤の表情には、いくぶんかの感傷と大きめの達成感の気配が、いつになくありありなのがほほえましかった。
週刊ミュージック・リポート