新歩道橋918回

2015年7月19日更新


 歌謡ショーの一番の魅力は、結局主演者の「人間性」だと合点した。真情あふれる主人公が中心にいて、共演者がそれに共鳴する。それぞれが一流の芸の持ち主だったら、観客の反応も自然に情が濃くなる。そんな舞台を僕は6月27日昼、明治座の「音楽生活50周年記念・作曲家弦哲也の世界~我、未だ旅の途中」で体験した。
 泣くなと言っても、それは無理だろう。幕開けに「ふたり酒」を歌った川中美幸は、2コーラスめの頭で声を詰まらせた。傍らでギターを弾いていた弦も、曲終わりで眼鏡の奥を指で拭う。この曲で二人とも、長い低迷のトンネルを抜けた。いわば〝戦友〟同士、どうしても感慨は往時へ立ち戻らざるを得まい。そのうえ二人とも、涙もろさではこの社会指折りなのだ。
 引き続き水森かおりが「鳥取砂丘」石川さゆりが「天城越え」を歌う。前者では近所づきあいの娘を〝ご当地ソングの女王〟に育てて、弦が水森の父へ恩返しが出来たと語る曲。後者は作詞家吉岡治、中村一好ディレクターと一緒に、伊豆の白壁荘にこもって作ったエピソードがある。
 五木ひろしが「人生かくれんぼ」を歌えば、作曲家と歌手の向き合い方があらわになる。二人はお互いの力量を認め、敬意を払ってこの曲で対峙した。都はるみが登場すれば、彼女原案の「千年の古都」の出番だ。5年間の引退生活のあと、都の第一線復帰を飾った記念曲で、都が作品への夢を語り、弦がそれに応じた舞台裏があった。
 弦もギターを弾きながら2曲。美空ひばりの「裏窓」と石原裕次郎の「北の旅人」である。前者はひばりが伝説の東京ドームコンサートで〝奇跡の復活〟をとげた時の1曲。後者は裕次郎から静養中のハワイへ呼ばれて、レコーディングに立ち会った彼の最後の作品。弦に言わせれば「昭和の太陽」だった二人と親しく触れ合ったのは、双方とも吹き込みの何時間かだけ。だから彼の胸中には「光栄」と「痛恨」とが、今もないまざって揺れるのだ。
 歌書きには歴史があるが、世に送り出した2500を越える作品も、1曲ずつが歴史を作る。弦はショーの第一部でそれを粛々と語って進行した。曲ごとの挿話はきちんと整理されてゆるみたるみがなく、時に胸に迫る感傷は、かみしめる口調で抑制した。もともと良く響く声と、はっきりした口跡が率直で、新鮮に響く。彼の生き方にも通じたろうか? 司会の徳光和夫はそんな第一部は陰マイクで姿を見せず、アレンジャーの南郷達也がバラライカ、前田俊明がマンドリンを弾いて友情出演...。
 第二部は5人の歌手が思い思いに弦作品を歌う。徳光がジョークまじりにつないで、こちらはおなじみの歌謡ショー・スタイル。弦もずっとトークでつき合い、そんな中でも彼について、
 「歌手兼作曲者だから、歌いやすいメロディーなのが特色」(五木ひろし)
 「長所? 優しさ。欠点? 暗さかな、あはは...」(都はるみ)
 なんて話が飛び出す。都は弦夫人で〝弦ママ〟と呼ばれる二三子さんと親交があり、二人の意見はその辺で一致しているという。
 僕はこの日、第一部だけで弦の〝ひとと仕事〟を十分に堪能した。大仰な舞台装置はなく、曲ごとにふさわしい映像が多彩で、弦と歌手の2ショットが挿入されたのがほほえましい。それやこれやで浮かび上がったのは弦のひととなりと情熱の歴史で、福屋菊雄の構成・演出がスマートにコンセプトを形にした。
 大詰めで弦は記念曲の「犬吠埼~おれの故郷」と「我、未だ旅の途中」を歌った。前者は彼が作詞、五木が作曲、ジャケットのタイトルを川中が書いた友情作品。後者は息子の武也が作詞した親子合作。弦の歌声は一途にめいっぱいで、不発に終わった田村進二時代などはるかな昔...の説得力を示した。彼は達成感の涙でフィナーレを飾り、川中はもうハンカチを眼に当てっぱなしになった。
 僕は一階正面17列17番の席で一部始終を目撃、目頭を熱くした。後ろの席にいた弦の父親正一郎さんもまた涙、弦ママも劇場のどこかで泣いたろう。14才で故郷・銚子を離れた弦は、心技体充実の67才。立派に親孝行も果たしたことになる。
週刊ミュージック・リポート