新歩道橋920回

2015年8月8日更新


 「流行歌評判屋とやらと舞台役者と、近ごろのあんたは、どっちが本業なの?」
 と聞かれることが多い。僕は迷うことなく「役者!」と答えて、相手を呆れさせる。そのうえ何と、最近もう一つの職種!? が増えた。
 「驚くなよ、とうとう演歌歌手になった。CDを出すんだ!」
 と打ち明けると、相手は大てい絶句する―。
 大阪にいる「詞屋(うたや)」というグループが作った私家盤アルバム「聴きたい歌が無いッ、自分らで歌つくってん!」の8曲のうちの1曲「だあれもいない」が僕のデビュー曲だ。「詞屋」は演出家大森青児さんが旗振りの作詞研究グループ。シナリオライターや小説家、エッセイストに大学の先生などが参加。妙に民度!? が高いのを面白がって、僕は何度か例会に顔を出していた。それが結成2年、自前のアルバムを作る怪挙!? に乗り出したから、さあ大変―。
 「監修をよろしく。それに制作も手伝ってよ」
 の、大森さんの一声で、僕は降りるに降りられなくなった。何しろ相手は作曲? 何とかします。歌手? 何とかします。編曲に録音ねえ、制作費もいるか、ま、何とかします...の無手勝流である。恐れをなしながら詞を二編引き取った。脚本家森脇京子が書いた「月ひとつ」とエッセイスト杉本浩平が書いた「だあれもいない」で、友人の田尾将実に
 「タダだけど、曲をつけてよ!」
 と、こちらもついつい乱暴になる。
 曲があがり、田尾のデモテープを聞く。熟女の心のつまづきを描いた「月ひとつ」は、ロマンチックないい曲がついていたから、
 「田尾、ついでにお前が歌えよ!」
 で、まず歌い手一人のメドをつける。問題は「だあれもいない」で、これが、
 ?さくら咲いた日、月かがやく日、訪ねて来るやつ、だあれもいない。俺が死んでも生きてていても、気にする奴は、だあれもいない...
 という独居老人の自嘲ソング。ご時世柄社会性もある! と乗ったが、終始暗い。それを
 「さて、パチンコにでも行くか、日々是好日、心配ご無用!...」
 のセリフで気分逆転する気で、
 「役者が歌うとちょうどいいんだがなァ」
 と目を泳がせたら、田尾があっさりと言った。
 「あんた役者じゃない!」
 その一言で、内心浮き浮き僕の出番が決まった。
 ちょうど作家三田完から届いた「あしたのこころだ~小沢昭一的風景を巡る」(文芸春秋刊)を読んでいたところだったから、〝決め〟のセリフを、
 「悠々自適のココロだァ!」
 とパクらせてもらう。編曲と打ち込みは若手のDeep寿に頼み、彼の自宅スタジオで歌ダビも完了...と、まあ、それなりの手際のよさだ。
 「ほかに男の歌手、女性の歌手一人ずつ、何とかなりませんか?」
 と、大森さんからまた来た難題は、
 「お前、行って来い!」
 と、名古屋在住の船橋浩二を派遣して「居酒屋〝せとうち〟商い中」(作詞槙映二)を仕上げ、女性歌手については、関西の名うてのシャンソン歌手で、後進の育成もしている出口美保に、
 「お弟子さんから一人、誰か見つくろって...」
 と、酒の肴みたいな依頼をしたら、
 「私が歌います!」
 の即協力に大感激。大森さんが作詞、作曲した「天空の夢」が出来上がった。ちなみにアルバムのジャケットは、大森夫人の千恵子さんのイラストが飾っている。
 大森さんは川中美幸公演の「天空の夢」を演出、彼女に芸術祭賞を受賞させたやり手。その公演で僕は、ひそかに「助演男優賞は俺だな」と思ったくらいに、川中と一景、差しの芝居で彼女を号泣させるとんでもないいい役を貰った。それやこれやのご縁で実現したのが、僕の歌手兼業の一幕だ。
 「しかしなあ、、80才間近かの物狂いは、止まることを知らないねえ」
 と友人たちは慨嘆、そのアルバムはどこで手に入るのか? と必ず聞く。何しろ私家盤でレコード会社関係なし。大阪あたりには口コミで出回っているらしいけど入手困難...と、僕はニヤニヤ彼らを煙に巻いている。
週刊ミュージック・リポート