新歩道橋925回

2015年10月3日更新


 有近真澄はなかなかに味なボーカリストである。ロックをシャウトするかと思えばシャンソンはドラマチックに情も濃いめ。ピアノとギター、ベースに打楽器あれこれのミュージシャン4人と、合わせる呼吸もいい感じで、バンド名はエロヒム。9月16日の夜、渋谷のGee―Geというライブハウスで、僕は彼のステージを十分に堪能した。
 「あなたを知らない方がよかった」という曲が出てくる。現代ふうな味つけのムード歌謡系。その男を知る前の女主人公は、
 〽焦げつくグライダーのように、飛んでいた。真珠の粒を孕んだ夜...
 という状態だったのに、その恋で「革命の歌よりも自分を惑わせ、狂わせる恋」を体験する。作詞は真名杏樹、作曲は有近本人で、近ごろの流行歌にも、こういうタイプが出て来てもいいころだ...とふと思う。早めにタネ明かしをすれば、有近はあの星野哲郎の長男、真名はあの船村徹の娘で、名だたる大物の子たちが、親たちからはまるで連想しにくい世界を展開しているのだ。
 街のライブハウスと言っても、若者専用とは限らないらしい。有近のレパートリーは、ラテン、フラメンコふうも含めて実に多彩。共通しているのはシニカルな視線の「聴かせる」作品群で、それに呼応するように、満員の客席の年齢層も高めだ。中に有近の夫人や義弟の木下尊行の顔も見える。
 「昨晩はどうも!」
 とグラス片手に近寄って来たのは元テイチクの松下章一。前日の15日、久しぶりの仲町会コンペを鎌ヶ谷CCでやったが、その打ち上げの酒盛りだけ参加した彼とは、連夜の酒になる。連れは作詞家のさくらちさとで、二人とも桜澄舎のメンバーだから星野門下だ。
 有近の音楽活動歴は相当に長い。その間に磨き、身につけたのか、歌が真っすぐに客席の僕らに届くのが強味。練れた声と巧みな操り方に余分な自信を持つと、歌はしばしば客の前を横に流れる自己完結型になり、説得力を欠くものだ。彼の歌がその愚におちいらないのは、真面目な取り組み方と飾らない人柄も手伝ってのことか。彼の風ぼうは年々、父親の星野に似て来ている。それがロックをシャウトしたりすると、
 《う~む...》
 僕の感慨はひととき、妙に屈折しかける―。
 「え~っ、マジですか、参ったなもう...」
 眼鏡の奥の眼を見開いたもう一人の出演者がいて、名前は深田太郎である。「虹とライオン」というバンドを作って、もう8年も頑張っている彼は、作曲とギター、コーラスを担当するこのチームのボスだ。女性ボーカルを中心に、こちらは有近バンドよりはやや若め。乗りはロックだがやはり「聴かせる」姿勢が目立って、曲ごとの歌詞に工夫のあとが見える。
 「作詞もしているの?」
 と聞いたら、
 「いまのところは慎んでいます。書け書けと言われてはいるんですけど...」
 とテレ臭い顔をした。こちらもタネ明かしをしておこう。深田太郎は阿久悠の息子である。父親があれだけの詞を書き尽していると、俄かにその道へは入りにくいものか?
 深田はカラーシャツに黒いダブルのスーツと、シックないでたちで、長身を折り曲げ、床に沈みかねない忘我の気配でギターをひく。有近は白のブラウスに赤のパンツ、両方艶のある光りものを着て、スターの風格さえにじませる。深田が40代、有近が50代だが、二人とも十分に〝今どきの若者らしさと美意識〟を示している。ま、胸中にたぎる思いは父親ゆずりだろうが...。
 僕はこの日の午後、USENの昭和チャンネルのレギュラー番組で、森サカエと彼女の歌を聞きながら、長いこと四方山話をした。戦後のジャズ・ブームから今日まで、日本のポップスの歴史を行ったり来たりである。森と僕はお互いに「ダーリン!」と呼び合い、しばしばハグもする仲。どちらも孫がいるいい年で...と周囲が笑うが、親密の表現が自然にそうなるのだから仕方がない。
 そう言えば深田のライブの客席には、彼の妻君と息子も来ていた。エレキギターの轟音にもビクともしないその奈義君6才、阿久悠が見ずじまいだった孫である。
週刊ミュージック・リポート