新歩道橋929回

2015年11月8日更新


 「サブちゃん、菊花賞勝った歌った」
 10月26日付のスポニチは一面題字下に大見出しが派手々々しかった。北島三郎の顔写真つきである。前日京都競馬場で行われた菊花賞を、彼の持ち馬キタサンブラックが制覇してのこと。昭和38年から馬主になって52年めで初のGⅠ勝利だから、本人の胸中はさぞやさぞ...である。約束どおりに現場で「まつり」を歌ったという。スポニチは裏一面もつぶして大特集をした。
 《失敗したなァ、俺の方は...》
 僕は人知れず頭をかいた。その日曜日は珍しく仕事がなくて、葉山の自宅でボーッと海を眺めていた。つれあいは出かけていて、猫の風(ふう)とパフと三人!? きりの午後、菊花賞があることになど思いも及ばない。彼の馬の前々走皐月賞は取った。前走ダービーは単勝を買ったがはずした。いずれも役者としてけいこをしていた時のこと。周囲の騒ぎに浮かれての便乗である。もともとあまり競馬に関心を持たぬたちだからそうなる半可通。ところが菊花賞当日は、周囲に人がいなかった。猫は競馬に興味を持たない。
 北島は10月に79才になった。同い年だからよく判るが、80の大台が目と鼻の先である。
 「生まれてこのかた、こんな感動を味わったことはない」
 という率直なコメントは、そんな〝寄る年なみ〟も手伝っていよう。「紅白歌合戦」や劇場の長期公演を卒業して、来し方にひとつケリをつけた折りも折りである。興行関係を取り仕切っていた相棒の実弟に先立たれるなど、身辺にもいろいろあった。覚悟のうえの身の処し方としても、いくばくかの寂寥感は残っていたろう。そこへ愛馬の激走である。鬱屈がいっぺんに消し飛んだろうことは想像に難くない。
 《ま、ご同慶のいたりというところか》
 次に社会面をのぞく。ハロウィンの仮装行列が六本木を練り歩き、川崎では「スター・ウォーズ」のキャラクターに扮した若者たちが大騒ぎしたとある。いつのころからか盛んになった西洋のお祭りが、クリスマス、バレンタインデーに次ぐ盛り上がり方とか。背後には関連企業の商算が動いていようが、若者たちはそれも承知で〝今〟を楽しむのか。
 一方では、渋谷のトルコ大使館前の乱闘騒ぎがある。トルコ総選挙の在外投票に集まったトルコ人とクルド人600人のいがみ合いである。少数派のクルド系は国内での長い抑圧的な扱いに激しく反発、トルコ政府は彼らの分離独立の動きを抑え込もうとしているそうな。根の深い民族的対立が、日本で爆発したかっこうだがその夜、テレビのニュース番組では、双方が流暢な日本語で、相手の非を訴え、なじっていた。それを見ながら、トルコという国が妙に近くなって来たように感じる。そう言えば...と思い返せば、民族や宗教の争いと、介入する大国の動きがあちこちで見え見えのままで、そのニュースに接し続けているせいか
地球が大分小さくなった感がある。
 国内だって多事多難なのだ。安倍首相の言う「積極的平和」とやらは「安保関連法」とセットでやたらにキナ臭く「一億総活躍社会」の大風呂敷も、一時銃後の少国民だった僕には、当時連発された「一億火の玉」なんてフレーズを連想、ささくれだった気分にさせる。辺野古問題も含めて、国はやたらに強行、強制の動きをあらわにしているではないか!
 《さて...と...》
 釈然としないあれこれを見回しながら、葉山ボケ老人のままで居ていいものかどうか、「待たるる花の80代」を公言しながら、僕は一体何を始めるべきかの具体策を持たない。そんなもやもやを吹っ切りに、28日は、湘南シーサイドCCの「小西会」コンペに出かける。18人もの屈託のない笑顔が揃ったが、いずれも熟年を越えて、それなりの気がかりは抱えているはずだ。
 気ばかり焦るが体がついて行かず、100叩きの僕は15位の惨状。しかし、馬券の方は的中した。僕はいつも場の賑いを狙って、自分から無謀な頭流しをするのだが、今回は同枠の飯田久彦氏が優勝して、その恩恵にあずかった。僕の博才なんて、ま、そんなものなのだ。
週刊ミュージック・リポート