新歩道橋932回

2015年12月5日更新


 「何でまた?」
 「それはないだろう!」
 と、二つのフレーズが「?」つきで、脳裡を行ったり来たりしながら、東京国際フォーラムへ出かけた。11月24日午後、都はるみの全国ツアー最終公演である。「これが最後の喝采...」と耳にしてのこと。辞めちゃうのか、休むのか、長く疎遠になっていた人だから、さしたる情報は持たぬままだ。
 いきなり彼女は「アンコ椿は恋の花」と「涙の連絡船」を歌って、当時の思い出話をポツリポツリ。そう言えば僕は彼女の日劇初出演を見た。
 《ヒット曲が2つだけでワンマンショーか、大丈夫かな》
 客席の前の方にいた僕は、そんな心配をする。何だか後方がザワザワと落ち着かないのが不審で、ショーの途中で振り向いて仰天した。いつの間にか立ち見の客までぎっしりで、確かこの人はこの公演で、この劇場の観客動員の新記録を作った。歌声も人気も、いきなり破天荒だった。
 「52年間、光の当たる場所で歌わせて貰って、ありがたかった」
 と、彼女は言う。今回のステージは「ありがとう」ばかりを連発して、その後のヒット曲を歌いまくる。「大阪しぐれ」「浮草ぐらし」「道頓堀川」「浪花恋しぐれ」「北の宿から」...。市川昭介や星野哲郎の名がコメントにしきりに出る。一時引退した時に二人が書いた「夫婦坂」は、情が濃いめに聞こえた。プロデューサー時代に発掘、大和さくらに歌わせた9分の大作「王将一代小春しぐれ」は吉岡治の詞で市川の曲。都はるみの一時代を作った3人の作家はすでに亡く、大和は消息も知らない。
 彼女が第一線に復帰したのは、美空ひばりが亡くなった翌年の平成2年。「小樽運河」「千年の古都」とこの時期から歌う姿勢と歌づくりが変わった。いわば等身大、本人の心境とかけ離れない歌が主。活動はコンサート中心で、その集大成みたいだったのが日生劇場のロングコンサートだ。〝ふつうのおばさん〟になりたかったのは、ひばりも手に出来なかった女の幸せへの渇仰、カムバックはひばりが成就できなかった歌世界への挑戦...と、僕は勝手に一人合点していた。相棒の中村一好との、根気を詰めた仕事の連続、やがて出回った大きな負債の噂。それはそうだろう。二人とも完全主義を貫こうとするから、収支を合わせるのは難儀だ。損して得取るこの世界の商いは全く不向きで、スタープロダクションの多くはそこでつまづく。何に絶望したのか二人歩きの8年後、一好は自死した。
 そんな事を振り返りながら、僕は国際フォーラムの彼女を歌の中で追跡する。「あなたの隣りを歩きたい」は客席を回り、ファンと握手しながらだが、歌にそれらしいゆるみたるみはない。「愛は花、君はその種子」は包容力に富み「邪宗門」は思いのたけがめいっぱいだ。往年の憑依の芸と目をみはった迫力は、確かにうすれている。それに代わって、中、低音の響きに人間味がにじみ、光沢のある針がね細工みたいな高音部は、明らかに年輪をしのばせて、情感の彫りが深い。抑制の利いた新しい境地と言っていいだろう。そして雪のすだれの中の小走りと都ふうイナバウアーの「おんなの海峡」フィナーレは二の腕むき出しの手を振って、おなじみの「好きになった人...」
 「何と言ったらいいか...」
 と髪に手をやり、言い淀みながら
 「来年、コンサートを休ませてもらいます。一生懸命充電します」
 と、テレたような口調の公演活動中止発言が出て来た。
 《やっぱりそうなのか!》
 客席で僕は黙然とする。長い孤独の中で、この人は心の頼りを見失ったのか? 歌世界で自分を鞭打つよすがを持てなくなったのか? 心満たせるものを手に出来なくなっていたのか? 充電は一年で終わるのか? それとも当分続くのか? まだこんなに歌えるのに! 「駄目だ!」「嫌だ!」の怒声が客席に交錯しているのに!
 前夜、夢に見た母親は「しっかりやりな」と言ったそうな。年は大分違うが、彼女と僕は歌社会同期生だ。
 《67才の決意は重いな...》
 そう思いながら僕は、このコンサートが彼女の見納めになることを、身ぶるいするほど恐れた。
週刊ミュージック・リポート