11月26日午後5時、浅草公会堂4階のけいこ場へ行って驚いた。
「あんたの役? これだよ、これ!」
と沢竜二が示した役名が「お杉」である。
「えっ? ウソッ! 俺、今回は女形ですか?」
一瞬僕は眼の前が真っ白になった。翌27日の昼夜、浅草公会堂で「沢竜の全国座長大会」が開かれる。もう6年ほど、毎回呼んで出て貰っているが、ほとんどが口立て芝居。前夜に、こういう場面のこういう役で、大体こんなやりとりで...と、口頭の指示を受けるだけだから、大ていのことには慣れているが、女性になったことなど一度もない。
「違うよ、お杉を夢吉に代える。一筆一家の三ン下、女言葉はほら、こういうふうに変える...」
動揺が隠せない僕にニコッとして、沢は事もなげた。
「やれやれ...」
胸を撫でおろして僕は、与えられたセリフ五つ六つを丸暗記する。主役の一人橘大五郎の仁義を受けるところから始まって、姐さん役の若葉しげるの帰りを出迎えるまで。「日本遊俠伝・会津の小鉄」のひと場面だが、脚本、演出の沢の頭の中では、とうの昔に、僕がやる夢吉像など出来上がっていたということか。
「毎度のことながら、勉強になるし、第一、度胸がつくよなあ...」
などとけいこの後、手伝いに来てくれた小森薫と一杯やる。9年前明治座・川中美幸公演の初舞台の時に身辺の世話になって以来、友だちづきあいが続く若手。彼をわずらわさないと僕は、手も足も出ない。座長公演は老いも若きもプロの集まりで、自分のことは自分でやる。床山さんもお衣装さんも居ないから、僕は小森青年が頼みの綱だ。
1時間ちょっとの芝居で、僕の出番はいつも4、5分くらい。前夜おそく九州・小倉から駆けつけた橘大五郎は、いかにも働き盛りの人気座長らしく、びしびしと芝居を決める。それに精いっぱいの受け答えをした昼夜2回公演、
「夜の部はよかったじゃないの!」
と沢から声をかけられるが、僕としては得心がいってないから、
「さあ、どういうもんですか...」
と、返答が口ごもる。
「ま、芝居ってのはそんなもんだよ」
沢が笑うが意味合いは深そう。〝生涯旅役者〟を自認する彼のひそみにならえば〝旅役者見習い〟の僕の前途は、まだ相当にけわしい。
姐さん役の若葉しげるには、毎公演何かと細かな心遣いをして貰っている。座長公演の第2部は「唄って踊って90分!」で、座長たちが女形で妍を競う。若葉は父の劇団で初舞台を踏んだのが6才。僕がスポニチのボーヤから取材記者に取り立てられた昭和38年の前年には、関西で人気の「若葉しげる劇団」を抱えて上京、勝負に出ている大ベテランだ。それが小柄な町娘に扮して、お尻ぷりぷり踊るさまは、まるで年齢を感じさせない可憐さ。舞台そででうっとり見守る僕は彼が踊る「どうせ拾った恋だもの」が、初代コロムビア・ローズの歌声と違うことが気になる。
「やたら巧い歌手だけど、一体誰です?」
と本人に聞いたら、
「ちあきなおみよ。そう言やあなた、そっち専門だよね...」
が答えだから頭をかいた。
この公演夜の部の客席に川中美幸が来てくれたのには肝をつぶした。マネジャーの岩佐進悟が「頭領!」と掛け声をかけたそうだが、何分こちらはカッカと頭に血が昇っていて、気づかなかった。
沢竜二にはもう一度、びっくりさせられている。11月19日、新宿のバトゥール東京で催された彼の傘寿と浅草公会堂前に手形が展示されたのを祝う会でのこと。早めに会場入りした僕に、
「司会がいないんだ。やってよ!」
の鶴の一声で、昼夜2回のパーティーの進行係りを命じられた。否も応もないから、ひどく俺流マイペースで何とかしのいだものだ。その時もきびきび立ち働いていた沢一派の岡本茉利、木内竜喜や青山郁彦から、座長大会の合い間に、
「よかったよ。面白かった」
とお愛想を言われたが、沢竜二の知遇を得ると、万事ぶっつけ本番になるのは修行のうちなのかねえ。
