新歩道橋934回

2015年12月19日更新


 「さてと...」
 早めだが今年最後のこのコラムを書き始めたが、何とも落ち着かない。明12月10日午後に衣装合わせとかつら合わせがある。1月、大阪新歌舞伎座の川中美幸新春公演用で、福家菊雄作、演出の「浪花でござる」とオンステージ「人うた心」の二本立て。「浪花...」は「大爆笑でつづる歌芝居」とあるが、噂では僕は金持ちの旦那ややくざの親分などをやるらしい。「バラエティーだから、けいこもほどほどで...」というのが、演出家の考えと聞くが、僕はアドリブが利く技術などないからソワソワドキドキである。ご一緒するのが初対面の曽我廼家寛太郎、赤井英和と来ればなおさらだ。
 「また、芝居の話かよ!」
 と、歌社会の友人は嫌な顔をしそうだが、今年はあちこちでいろんな体験をさせて貰った。2月が中目黒キンケロ劇場で劇団若獅子の「歌麿~夢まぼろし」(笠原章作、演出、主演)4月が三越劇場で名取裕子主演の「居酒屋お夏」(岡本さとる原作、脚本、演出)10月が下落合俳協TACCSで田村武也が主宰する路地裏ナキムシ楽団公演の「指切りげんまん」11月が浅草公会堂で沢竜二の全国座長大会...である。合い間の8月には、川中公演でお世話になった大森青児の初監督映画「家族の日~ターザン故郷に帰る」の岡山ロケにチョイ役にしろ参加する光栄に浴した。
 「去年、僕が作、演出でやった〝深川の赤い橋〟より、数段うまいってのは、どういうことよ!」
 と、師匠の横澤祐一に初めてほめられたのが「歌麿」の蔦屋重三郎役。横澤が僕も所属する東宝現代劇75人の会の同い年の大先輩。いつも辛口のこの人の指摘だから、ほめられたこちらが度を失った。「家族の日」の大森は詞屋という大阪の作詞グループのボスで、彼らが作ったアルバム「聴きたい歌が無いッ! 自分らで歌つくってん!」で、僕は歌手の仲間入りもした。杉本浩平作詞、田尾将実作曲の「だあれもいない」で、ご時勢ふう独居老人のうそぶきソング、小沢昭一をパクッたセリフ入りがミソだ。
 「やっと歌の話になるか!」
 と言われそうだが、制作を手伝ったのは「チェウニ李美子を歌う」で、幼いころ離婚してはなればなれだった李美子・チェウニ母娘が再会、娘が母のヒット曲を吹き込んだおめでたアルバムだ。血は争えないものだ...と二人の魅力を再確認した。カラオケ上級者用のむずかしい歌シリーズの花京院しのぶには高田ひろお・水森英夫をコンビに「望郷よされ節」を作った。作品にこめた思いは東日本大震災で家族や故郷を失った人への鎮魂歌だ。
 12月7日夜、明治記念館で開かれた弦哲也の50周年記念パーティーで、杉本眞人から不思議な話を聞いた。5月に亡くなった親友作詞家ちあき哲也の写真を並べて追悼ライブをやったら、杉本のギターが突然鳴らなくなり、思い直したようにまた鳴ったり、止まったりしたという。
 「きっとあいつ、会場に来てたんだよ」
 と杉本がしんみりした声音になった。
 「そうだな、あいつらしいかもな」
 と、僕は相づちを打った。
 そのパーティーの中締めのあいさつで、僕が、
 「弦ちゃんは着々と〝平成の古賀政男の世界〟になる」
 と言ったら、会場から盛大な拍手が来た。どうやらみんなが、そう思っていたらしい。実は〝平成の服部良一〟になると思っていたのは三木たかしだった。5月にやった彼の7回忌の集いで、未発表作品を披露したら、数多くの歌手サイドから吹込みの申し出が集まった。せめて、来年の命日(5月11日)あたりまでに出揃うといいなと思っている。
 それやこれやの思いのたけといい歌とのかかわり合いや僕の半生までまぜ込んだ本「昭和の歌100・君たちが居て僕が居た」が出来上がった。幻戯書房刊で、年末年始には書店に出るそうな。1月大阪新歌舞伎座のあと、2月は「門戸竜二奮闘公演」に参加、千葉、大阪、名古屋、東京を回る。また芝居の話に戻っちまって恐縮だが、読者諸兄姉には、どうぞ良いお年を...のごあいさつとします。
週刊ミュージック・リポート