新歩道橋935回

2016年1月23日更新


 「紅白歌合戦」は宿舎でひとり、のんびりと見た。一夜あけた元日は、ホテルそばの生國魂神社に初詣をした。ここまでは何十年ぶりかの、粛々とした年越しである。それが一転、夜は新世界ジャンジャン横丁そばのスナック「春」で、騒然の新年祝いになった。
 《大阪もなかなかに、味なもんだ...》
 と、初めての関西ふう雑煮を賞味する。白ミソに丸餅、鶏肉に野菜あれこれだが、一緒に舌つづみを打ったのは、ダンサーで芝居もするお仲間、安田栄徳と綿引大介。春という店は初めて一緒の舞台に立った新島愛一朗が経営して10年、自身も時代劇の若衆ふう扮装で取り仕切っている。
 平成二十八年正月は、二日から十五日まで、新歌舞伎座で「川中美幸新春公演」に出して貰った。第一部が「初春、初唄、初笑い・浪花でござる」で、第二部が川中のオンステージ「人・うた・心」両方とも福家菊雄の作、構成、演出である。共演は赤井英和、曽我廼家寛太郎に四天王寺紅、藤川真千子と、飲み友だちの友寄由香利、小林真由、穐吉次代。後半の三人が扮する芸者を連れて登場するのが第一部の僕。またしても金持の旦那だ。
 そんな第一部は、川中の歌入りバラエティーで、僕はコントに初挑戦をしたが、厄介なのは地元での関西弁。イントネーションがズレると「気色が悪いんだよ」と、よくスポニチ大阪の友人に言われたことがトラウマになっている。そのうえ芸達者の寛太郎とのからみもある。この人は全編アドリブこみ、隙間なしにポンポン行く。それに川中がボケたり突っ込んだりで、ちょいとした名勝負。僕らは舞台そでで、袖引き合って笑うのだ。
 芸風ひょうひょう、変幻自在の寛太郎に、当意即妙、関西ふう笑いはお得意の川中と、剛直、朴とつの赤井が客席を沸かせる。川中の歌、トークを「縦横無尽」と評したメディア人も居た。新歌舞伎座の大舞台で、アドリブなんて滅相もない...と、やたら緊張気味の僕に、演出家の福家がかけてくれた一言は、
 「遊んで下さい。気楽に...」
 よおしッ、それならば...と、時に脱線するのは、川中の緋牡丹お竜を狙ってからむならず者を率る親分役。これはもう入道頭の両側が猫じゃらしみたいな髪がふっ立ったカツラとつけ眉毛、つけひげ。大仰などてらを羽織っての威風堂々!? だから、舞台に出ただけで笑いが来る。そのうえ親分が捜しているのは肝心のお竜そっちのけで、愛猫のたまちゃん。セリフもドラ声張りあげて上田吉二郎もどきだが、見に来た作曲家弦哲也が言うには、
 「テレていないところがいい」
 関西シャンソン界のベテラン出口美保には
 「どんなカッコをしても、声であんたと判る」
 と言われたのを、ほめ言葉と我田引水してやれやれ...である。
 ジャンジャン横丁に話が戻るが、スナック春はおっさん、おばはんのカラオケが休みなし。店に入ったとたんの一曲が「釜ヶ崎人情」で、作詞家もず唱平のデビュー作である。あれからもう50年になろうが、この歌の地元で、かつてはこの歌のモデルだったろうおっさんのダミ声がやたらに刺激的だ。カラオケ用画面はひっきりなしに変わるが、都はるみの「ふたりの大阪」の一場面に吉岡治がバーテン役で出ているのには笑った。その吉岡作品で、今回川中がステージに上げたのは「残菊物語」「白梅抄」「金沢の雨」「おんなの一生~汗の花」など。阿久悠や三木たかしの作品も「豊後水道」「女泣き砂日本海」「遺らずの雨」「ちょうちんの花」と並ぶあたりに感慨が深い。
 川中の最新曲は池田充男の詞、弦哲也の曲の「一路人生」である。一番の歌詞にある〽今宵も集うひとの和に、この身をそっとおきかえて、わが来し方をほめて呑む...の一節をテーマに、僕は連日、浪花の酒を大いに味わう新年になった。
 身にあまる光栄は、アルデルジロー我妻忠義社長の心遣いで、拙著「昭和の歌100・君たちが居て僕が居た」(幻戯書房刊)を劇場ロビーで売って貰ったこと。これがアッと言う間に売り切れて、春から何とも縁起のいい話...とお仲間から肩を叩かれたものだ。
週刊ミュージック・リポート