新歩道橋940回

2016年3月13日更新


 五木ひろし、細川たかし、石川さゆり、中村美律子、島津亜矢らと旅をした。出演したのは千葉・神崎ふれあいプラザ、大阪・松原市文化会館、名古屋・北文化小劇場、東京・中目黒キンケロ・シアターで全10回公演。ただし冒頭のスターたちは歌声だけ。大衆演劇の若い座長・門戸竜二が艶然の女形姿で、これを踊った。同行した僕は時おり楽屋で、彼や彼女たちの歌に耳を澄ます。
 《さすがにいい味だな。それぞれ、独自性もなかなかなものだ...》
 みんな親交のある歌手だし、僕は自然に一足めのわらじである商いの居ずまいになる。
 二足めのわらじの役者として、この一行に参加している僕の出番は第一部の人情劇「めし炊き物語」(脚本・演出小島和馬)で、めし炊きおやじと藩の重役・榁久左衛門の二役。お家騒動から蟄居謹慎中の若殿(門戸)と、たまたま忍び込んだ泥棒・伝の字(あご勇が珍演)が、珍問答で客席を喜ばせる。お人好しの伝の字との交友から、若殿は庶民の人情に触れ、どうやら名君への兆しをつかむあたりがミソ。
 そこへ、江戸へ帰還されたし...と出迎えに来るのが久左衛門の僕と、忠義の武士・鮫島平馬(安藤一人)の出番。お家騒動を逆転しての使者だが、身分を捨て市井の一人として生きたいと願う若殿に事情を説明、翻意を促す一幕。若殿と泥棒の情と笑いのドラマの大半を、この辺りできりりと締めて、若殿帰城の大団円へ収める重要な役割りだ。
 《そういう役どころと判っちゃいるんだけどなあ...》
 久左衛門の僕は、あれこれ思い惑う日々を過ごした。何しろ「帰らぬ!」と言い募る若殿と、丁々発止のやりとりをする長丁場、舌を噛みそうな武士言葉の長ゼリフを、何とか完走したい思いが先に立ってしまう。相手を諫め、説得するセリフを声を張って頑張ると、やりながら「タッチが違っちゃうなあ」と、自制を促す本音部分が脳裡でチラチラする。藩の重役という身分に、白いものが混じるかつらからである。年相応にじゅんじゅんと相手に言いきかせる滋味が、なかなか作れないのだ。
 座長の門戸は大衆演劇のスターの一人、松井誠の一座で10年修行をし、独立して5年のキャリアを持つ。今年誕生日が来れば47才だが、泥棒とのかけ合いのおっとり型から、激怒する若殿までのふた色を巧みに演じ分ける。激怒は僕とのやりとりの一部だが、顔をこわばらせ、眼をひきつらせて相当な気迫。穏やかにそれを引き取るはずの僕の方が、妙にいきり立ってしまう未熟さを、きちんと受け流す器量と手練に頭が下がった。
 めし炊きおやじの僕の相方お清は森朝子、二人の娘が朝日奈ゆう子と宮元香織、陰謀派の若侍が田代大悟と二神光で出演者は合計9人。最年長の僕はみんなからいたわられ続きで、小道具の準備から出番の目くばせ、休憩時の弁当の告知までが細やかだ。制作する本田ステージプロデュースの本田幸生はセットから道具まで手作りする腕利きで寡黙な舞台監督、プロデューサーの本田まゆみとお人柄夫婦で、こちらも気くばり、気ばたらきがすみずみまでと来る。
 地方巡業初体験と喜び勇んだ僕が、それらしい体験をしたのは一度だけ。朝8時15分に羽田に集合、関西空港へ飛び、JRとタクシーを乗り継いで大阪・松原市文化会館へ入り、午後1時から場当たり、3時半に開演して終演後に名古屋へ移動という忙しさだった。2トンのロングというトラックに、セットから照明、音響の桟材、大道具、小道具に役者たちのボテ(大量の荷物の容れ物)など一切合財を積み込む見事な手際も目撃した。それに加えて、終演後の楽屋の整理整とんから清掃まで、陣頭指揮する座長の門戸で、こまめに立ち働くのが安藤の二人。立つ鳥跡を濁さずの精神と、率先垂範ぶりに、旅興行の作法を見習う心地がする。
 「カカトで芝居をしないとね」
 という、師匠の横澤祐一(東宝現代劇75人の会のボス)の常々の教えを体現出来ず、僕は突んのめりぱなしで10公演、個人的にはついに初日が出ずじまいで終わった。同じ芝居でも客の反応が、関西と関東では大いに違うことなどを、後日、今さらながらぼう然と思い返している。
週刊ミュージック・リポート