新歩道橋945回

2016年4月29日更新


  「変わった歌が出来てねえ...」
 作曲家船村徹がそう言って、テレ笑いの顔を少しかしげる。その左隣りに作詞をした舟木一夫、船村の右隣りから夫人の福田佳子さん、アレンジを担当した息子の蔦将包...。彼のさゆり夫人、福田夫人の秘書格の山路匂子さんも来ていて、船村一家勢ぞろいのテーブルにはコロムビア首脳も同席した。そんなお歴々の視線を集めて、不動の姿勢で立っているのは新人歌手の村木弾―。
 4月19日、東京・九段のホテル・グランドパレスで開かれたのは、その村木のデビュー披露のコンベンション。昼の12時半スタートだから、ビールと食事つきだ。
 「近ごろ、こういうのも珍しい...」
  と、新聞、テレビ、ラジオ、週刊誌などのメディア勢に、有力レコード店主や関係者が周囲を見回す。会場の隅々には、接待係りのコロムビア社員ほか大勢が笑顔だ。
 「何しろ、船村先生の最後の内弟子のデビューですから...」
 村木の売り出しに、相当な力コブ...の気配がありありの光景だ。
 船村の言う「変わった歌」は、村木のデビュー曲「ござる~GOZARU~」を指す。
 〽夢はね、夢は男の命でござる。金じゃ買えない血潮でござる...
 という歌い出しの詞を書いたのは舟木で、恋は男の命、傷は男の宝...と、男の生きざまを開陳する。語尾にちょくちょく、侍コトバの「ござる」が出て来るのがアクセント。シャイな舟木らしい〝肩のすくめ方〟が垣間見える詞だ。
 それを面白がったのだろう。船村がつけた曲は、明るく、テンポも軽妙なおはやしソングふう。艶歌からポップス系まで、幅広いヒット曲を持つ巨匠の作曲歴63年の中でも、珍しいタイプの作品になった。熟年ファンには彼らしい小気味よさ、若いファンにはすっと入れるノリの面白さをあわせ持つあたりがミソだ。
 「何の色もついていないところにこそ、村木君の魅力を感じた」
 と語る船村が、村木の地力を生かし、作品で色をつけたということか。
 村木の地力は、一言でいえば「骨太の率直さ」だろう。この日もこの曲を2回歌ったが、よく響く厚めの声が、巧まずに一直線。メロディーの起伏に素直に添い、歌詞への共感をにじませて、歌が彼の胸中のものと同じ昂り方を示す。相応の力量は持つがそれをあらわにせず、念願かなった喜びも裡に秘めて、今日ただ今の自分を披瀝する。秋田出身、36才、要するに闊達な〝おとなの歌〟なのだ。
 内弟子は、師匠の身辺で生活全般に意をつくす。村木の場合は、船村の付き人で車の運転手、スケジュールを調整するマネジャー格から食事の支度までして12年、寝食行動を共にした。船村の背中から男の生き方、考え方も学んだことになる。船村の内弟子出身には鳥羽一郎、静太郎、天草二郎、走裕介らが居る。僕が船村に初めて会ったのは昭和38年。以後私淑して船村歴は50年を越えるから、はばかりながら彼らの兄弟子で、全員呼び捨ての親交がある。19日の村木の会でも、僕は用意されたゲストの席から、当たり前の顔で船村一家のテーブルへちゃっかり移動している。
 船村からの連絡で、村木デビューに一肌ぬいだという舟木は、なかなかの後見人ぶり。食事の合い間に各テーブルをあいさつで回る村木に同伴、細やかな気くばりで談笑する。その言動や挙措には飾らない人柄と若々しさがうかがえるから、参会者たちの村木への好感に、もう一つオマケが増えた型になる。
 「ところで、お幾つになりました?」
 「この秋でまた一つ、大台に入ることになるよ」
 舟木とも古いつき合いである。彼がデビューした昭和38年に、僕はスポーツニッポン新聞の内勤記者から取材部門に異動した。取材で行く先々のテレビ局で、つめ襟の学生服の彼と出っくわす。八才年上だが彼と僕とは歌社会の同期生なのだ。それやこれやの懐旧談のあと、僕らの意見が一致したのは村木弾のキャラクターの頼もしさ。イケメンばやりで賑うこの社会で、その対極に武骨、骨太、率直の硬派もまた、貴重ではないか!
週刊ミュージック・リポート