新歩道橋948回

2016年5月29日更新


 《えらいことになっちまった...》
 頭をかく思いで僕は、5月16日、あわただしく東京を右往左往した。午後、日比谷の東宝演劇部の一室で開かれたのは、所属する東宝現代劇75人の会の総会。そこで僕は7月公演「坂のない町・深川釣船橋スケッチ」(横澤祐一作、丸山博一演出)の台本を受け取り、配役を聞いた。このところ続いている横澤の〝深川シリーズ〟の4作目。ポスター、チラシ、チケットも用意されていて、7月6日から10日まで、深川江戸資料館小劇場でやる5日間7公演の準備がスタートした。75人の会の第30回という節目の舞台だ。
 雑用二つをこなして夜、今度は文化放送7階のJCM会議室へおっとり刀になる。こちらは田村武也が取り仕切る路地裏ナキムシ楽団の第7回公演「オンボロ観覧車」の顔合わせだ。「青春ドラマチックフォーク」と銘打つ舞台は、5人のバンドのライブと12人の役者の芝居が、渾然一体でドラマを作る新機軸。一体どんな感じ? と聞かれて、
 「見てみりゃ判る。笑いと涙が熱っぽくて、相当な作品だよ」
 とうそぶきながら、昨年秋に出して貰って、今回またお声がかかった。
 日取りは上落合のTACCS1179(俳協ホール)で7月22日から24日までの3日間4公演。チケットが発売するとすぐに完売という人気のグループで、
 「様子によっちゃ、追加公演もありかなァ」
 などと、主宰の田村がニヤニヤする。この人、実は作曲家弦哲也の息子(それをアピールすることは全くない!)で、脚本から演出、音楽...と全部手がけて多才なうえに、舞台装置、照明、音響から道具や衣装のプランニングまでを一手に引き受ける。僕から見れば息子や娘、孫なんて世代の仲間とワイワイガヤガヤ相談しながら、全体をまとめて行く統率力まで、なかなかなものだ。
 「そんなに浮かれていて、大丈夫なの?」
 と友人が気がかりをあらわにする。それはそうだろう。何と僕は7月に二つの公演に参加するのだ。ということは、今月末から6月、7月にかけて、けいこと本番が並行することになる。それもベテラン勢揃いの75人の会と、血気盛んな若手のナキムシ楽団だから、作品の方向性も手法もまるで違う。しかも双方から、相当に〝いい役〟を貰ってしまった。70才で始めた舞台役者もやっと10年にはなったが、まだまだこの世界ではトウが立った新米おじゃま虫。内心では恐縮しきりなのだが、うわべは年の功も手伝って、
 《せっかく貰ったチャンスだもん、やるっきゃないだろ!》
 と、明るめに居直ることにした。
 13日夕には月島の一室で映画「家族の日」の試写を見た。川中美幸公演「天空の夢」で、どえらい役をくれた元NHKの演出家大森青児の映画第一作である。ほのぼの情の通ういい作品に、舞台のご縁でワンカット、僕も出演の光栄に浴している。17日昼は渋谷の大和田さくらホールで、新田晃也のコンサートに顔を出す。去年が歌手活動50周年だった彼とは、その年数近いつき合いだが、相変わらず〝無名の歌巧者〟ぶりは健在、新曲「昭和生まれの俺らしく」もいい出来だ。そう言えば新田は福島・伊達出身で実家が東日本大震災に遭遇している。大森の舞台「天空の夢」の時は僕も明治座でその3・11をもろに体験した。
 大忙しだった16日の夜9時半前には、文化放送のエレベーターで1階へ向かう途中に妙な上下動に出っくわした。震源地茨城、震度5弱と聞いたが、乗り合わせた若者たちのケイタイが一斉に発した警報音にはもっとびっくりした。
 九州・熊本は震度7の本震からこの日でちょうど1カ月。余震の恐怖はまだ続き、亡くなった方の家族、縁者の悲しみは癒えぬままで、家屋などの被害もほとんどそのまま。避難所や車中泊の日々を送る人々の不安はいつ解消されるのか、目処もつかず、歌社会にも被災関係者が大勢いる。
 《せめて、心して生きなければ申し訳ない...》
 葉山―東京を行き来しながら僕は、また内心だが、うしろめたい無力感といらだちを合わせて抱え込んでいる。
週刊ミュージック・リポート