新歩道橋953回

2016年7月18日更新


 「今回はすまないねえ。辛抱役で苦労をかけます」
 作者の横澤祐一からそう言われた。辛抱役? 初耳である。どういう役ですかと聞いたら、説明セリフが多いんでね...が答え。その割に見せ場が少ないと言うことらしい。7月6日昼が初日の東宝現代劇75人の会公演「坂のない町~釣船橋スケッチ」(深川江戸資料館小劇場)の話だ。
 お話の舞台は深川のとある女性専用アパート。そのロビー風空間にいろんな人が集まってくる。そこの女管理人と、まるで寄りつかない好色な旦那。アパートの住人は痴呆気味の老女に、娘に捨てられたらしい中年女で、こちらは何だかピントが合わない立ち居振る舞い。乱入して来るのが三遊亭円朝の孫を捜す突っけんどんな会社常務の女性とその部下。もうろく気味の老落語家にアパートの大家が次々に連れ込む愛人、大家の幼なじみの不動産屋と民生委員などで、はばかりながらその民生委員で紙工芸店の主が僕の役だ。
 円朝の孫捜しから話がほぐれていく。深川・釣船橋界わいには、昔、遊郭の洲崎パラダイスがあった。痴呆老女はそこにいた人で、死んだ亭主との深いいきがかりがある。母親を捨てて男と走った娘は、淡路島にいるらしい。大家の女好きにヘキエキするのは不動産屋と僕。管理人は内縁の妻だが、こちらにも謎めいた過去がある。そもそもそんな人たちの暮らしを狂わせたのが関東大震災だが、話はそれからずっと後の昭和30年代のことになる。
 《なるほど、これが辛抱役というものか...》
 5月下旬から続いたけいこで、僕は腑に落ちる気分になる。登場人物たちの過去やその後の人間関係のあれこれを、気のいい民生委員の僕が、セリフで説明するのだ。関東大震災で行く方知れずの人々についてがあり、芝居には出て来ない人物と出演者とのいきがかりもあり...である。それが下町の人間関係のアヤを解きほぐしていくのだから、あだやおろそかには出来ないセリフ群を背負った。一生懸命覚えて、それをすらすらやったところで、作者横澤や演出の丸山博一のお気に召すはずもない。
 東宝現代劇はかつて、劇作家の菊田一夫が創設した劇団、そこの有志が作ったのが75人の会という集団で、最長老の内山恵司を筆頭に、芸歴50年超がぞろぞろの強者揃いだ。僕が横澤の紹介で加えて貰ったのが、2009年の「浅草瓢箪池」で以後7年、所属役者に加わって年に一度の自主公演を、その道の修行の道場にしている。ベテランの芸達者たちと、年齢こそさして違わないが、ペイペイの新入りに変わりはない。けいこ帰りにひっきりなしの居酒屋歓談には近ごろ相当慣れて、
 《新入りの割に態度がなれなれしくなったか...》
 と、たまに反省しながら夜毎耳がダンボになる。先輩たちの昔話にも芸する人の心得や秘密が飛び出すから、油断も隙もない。ま、何事によらず教わるよりは盗め! だが...。
 初日前日の舞台げいこでは、セリフを三つほど飛ばした。話の筋が通らなくなるのに慌てて、あらぬフレーズを口走って何とかしのぐ。飛ばしたことに気づかず、受けてくれる相手の出が遅れたのに、その景が終わって気づいて冷汗三斗、相手に謝っていて二人ともフィナーレの出をトチった。
 ご一緒の先輩役者は内山に役者もやる丸山と巌弘志、村田美佐子、鈴木雅、菅野園子、柳谷慶寿、古川けい、下山田ひろの、高橋志麻子、高橋ひとみ、大石剛、仲手川由美の面々、楽屋裏で出会う都度の笑顔に励まされながら、初日は大過なく務めおわした。
 横澤の書きおろし脚本は「水の行く方」「芝翫河岸の旦那」「深川の赤い橋」に続いて深川シリーズが4本目で全部僕も出ている。登場人物がそれぞれに過去を背負って、一生懸命に生きている庶民派ばかり。悪い人間は一人も出て来ず、気のいい善男善女が織りなす下町人情劇だ。その温かさ、優しさとしっかりした手応えが、こんな剣呑な時代を生きる人々の心を動かすのか、
 「しみじみ、すがすがしい思いで帰れる」
 「劇団独特の美学でしょう。こういうお芝居は近ごろ珍しいから、とても貴重...」
 と、芝居の〝見巧者〟たちが口を揃えている。
週刊ミュージック・リポート