新歩道橋954回

2016年7月31日更新


 この年になって、脳ミソの使用法に思い悩むことになろうとは、夢にも思わなかった。芝居のセリフの入れ場所についてだ。東宝現代劇75人の会の「坂のない町~釣船橋スケッチ」(横澤祐一作、丸山博一演出)は、深川江戸資料館小劇場で、5日間7公演を終えた。千秋楽が7月10日で、盛大な打ち上げをやったあと、1日置いて12日から、次の路地裏ナキムシ楽団公演「オンボロ観覧車」(下落合のホールTACCS1179)のけいこに入ったのだが、さて―。
 セリフが全く入っていかないのだ。公演は7月23日からだからけいこ日数は約10日。その間にレコ倫の会議やUSEN「昭和チャンネル」の録音、友人が出演する芝居を観たりの抜けられぬ用事があっても、正味1週間はある。主宰者で作、演出の切れ者田村武也のOKは出ていて、
 《ま、何とかなるだろう...》
 と、内心では鷹揚に構えていた。沢竜二全国座長大会の口立てぶっつけ本番なども体験、物覚えの良さにも応分の自負はある。75人の会を観てくれる友人たちが、セリフの多さに呆れ、毎回、記憶力ばかり評価されるのにも慣れていた。
 どうやら脳ミソのうち、セリフ覚えに関する部位には、一定の許容量があるらしいのだ。そこに前公演のセリフ群がまだ居座っていると、次のセリフの入り場所がない気配。出来の悪いトコロテンみたいに、古いのが出ていかないと、新しいのが入る空きスペースがない状態で、これには僕も少なからずあわてた。
 「ひと月に2本も芝居をやるなんて、ベテラン俳優ならともかくあんた、そもそも常軌を逸している。二本の脚本の役どころが、ごっちゃになるに決まっているじゃないか!」
 と、当初から危惧する向きは多かった。年寄りの冷水への警鐘だが、その心配はなかった。一作めに没頭している間は、二作めの台本など読んでもまるで上の空。脳ミソもそんなに器用には立ち回れっこない。
 「坂のない町」のけいこは5月末から1カ月半以上みっちりやった。作者横澤に「辛抱役」と言われたタイプの役で、説明セリフ多めなのを何とか覚えた。お陰で公演は大過なく務められたのだが、その「みっちり」が後遺症になったのかどうか。役どころの民生委員芦野像が、追っても追っても居なくならない。
 大体、終演後1週間ぐらいは、僕本人と役のキャラが同居状態のモヤモヤになるのが常だった。今度はそこへ、次作のオンボロ遊園地の謎のお掃除おじさん村松が入り込むものだから三つ巴である。そのうえこちらもちょいとした辛抱役ふうでセリフ沢山。しかし、若者集団のナキムシ楽団では、文句なしの最年長だから、そんな弱みも見せられず、表面ニコニコ、本心ドギマギの日々が続いた。
 若者たちは元気だ。場面場面の抜きげいこをガンガンやって、深夜、打ち揃って居酒屋の交歓会。興が乗ればそのあとカラオケにも突撃するのだから、相当なエネルギー。こちらは居酒屋前半戦で脱出するが、連夜、横須賀線の最終列車で帰宅となる。若者たちは元気なうえに、全員とても気のいい連中で、当方への気の遣い方が、さりげなく細やかなのには痛み入る。
 この楽団の公演参加は昨年に続いて二度め。6人編成のバンドが舞台上にいて、役者がやるドラマと交錯するオリジナルを歌う。これが「青春ドラマチックフォーク」を標榜するだけあって、適度のセンチメンタリズムと応分の感性と覇気で、けいこ場をゆするのだ。つい聴き入って役者の分を忘れ、不覚にも鼻先にツ~ンと来ることもしばしば。身内褒めで恐縮だが、この暖かさと優しさ、若者らしい人情味と音楽性が、毎公演早々チケット完売の人気を得ているのだろう。
 7月22日の初日直前になって、僕の体内では何とか、民生委員芦野と謎のお掃除おじさんが入れ替わった。前回のトコロテンはめでたく食器に飛び出し、新しい食料が押し出し道具に装填される。こうなればしめたもので、つながりを見せ始めるセリフに、どういう情をにじませるかの計算も始まった。このコラムが読者諸兄姉のお眼にふれるころには、3日間5回の公演は恐らく、大過なく打ち上げられているだろう。以上、新米老優の脳ミソ許容力に関するお粗末の一席である。
週刊ミュージック・リポート