新歩道橋957回

2016年8月27日更新


 電話の受け答えで、少々不安になった。相手は星野哲郎の特番を作ると言うのだが、星野の世界にどの角度から入るのかと聞くと、口ごもりがちになる。とにかく会おうと約束して、ついでに...と助言を一つした。僕が書いた「海鳴りの詩・星野哲郎歌書き一代」を大急ぎで読むといい。エピソードが沢山書き込んであるから、番組づくりの具体的な参考になるだろう―。
 ニ、三日あと、帝国ホテルのオールド・インペリアル・バーで会う。打ち合わせなどでよく使う場所で、昼間は客も少なめ。ソフトドリンクもいろいろあって、静かな喫茶店ふうに使えるのが利点だ。僕はいつもアイリッシュコーヒーを頼む。どういう比率か知らないがコーヒーにウイスキーが入っていて、時にウイスキーのコーヒー割りみたいな濃度。一杯でほろっとハイな気分になれるから、相手が初対面の場合などに好都合だ。
 現れた女性は案の定、相当に若かった。年齢を聞くのは失礼と思いながら、どうしてもまず聞く。星野について、リアルタイムでどの程度の予備知識があるのかを知るためで、それによってこちらの話し方を決めねばならない。彼女は31才だと答えて、かかえ込んで来た僕の本に眼を落とした。平成5年、23年も前に集英社から出したそれを、図書館で見つけたとかで、付箋だらけになっている。一生懸命さが眼に見えるようだが、失礼な質問を重ねる。貴女は資料集めをしている途中で、番組づくりにはそれなりの脚本家か演出家がつくのだろうか? 答えは否で、2時間の特番を彼女が一人で切り盛りするそうな。
 《だめだ、これは...》
 僕はそこで観念した。31才ということは、昭和60年生まれ。美空ひばりの昭和最後のヒット曲で、星野の傑作「みだれ髪」が世に出た年に、彼女はまだ4才でしかない。現在のこの人のテレビマンとしてのキャリアや才腕が気になるのでは決してないが、星野の〝ひとと仕事〟その背景にある昭和を語るには、世代的ギャップが大き過ぎる。それが一朝一夕で埋まるわけもないが、徹底的にしゃべりまくるしかない。少しでも多くの共通認識を持たなければ...。何しろ事が星野に関してである。僕は彼を師と仰ぐことを公言、口はばったいが星野専門家である。乗りかかった船、中途半端な番組には出来ない。
 飲むものが途中からカミカゼに変わる。ウォッカをベースにしたカクテルで、酔いがすぐ回るから勝負が早い。その勢いでガンガンしゃべる。彼女はせっせとメモを取る。しゃべり足りないから場所を行きつけの小料理屋いしかわ五右衛門に変える。彼女は翌日、星野の故郷山口県の周防大島へ取材に行くという。それなら記念館を見てよ、筏神社へ行って、星野夫人朱実さんの姉・葉子さんに会うといい。星野夫妻の墓碑銘も撮影すべきだ。なぜならば...と、わきめもふらぬ長広舌が合計8時間。初対面の相手なのに、いつの間にか「お前なあ...」と口調が乱暴になり、しゃべり疲れた援軍に役者の友人真砂京之介を呼んだら、「一体、何が始まってるのよ」と呆れた。
 1週間後、その番組の僕のインタビュー部分の撮影がある。聞き手も彼女だが、的はしっかり絞られていた。この人は多くの人に会い、急激に勉強をして急速に星野通になっていた。「あの晩は驚いた。めったにない出来事だった」と笑いながら、眼つきが気のせいか旧知の人みたいになっていた。番組名は「昭和偉人伝」で9月7日午後9時から2時間、BS朝日で放送される。彼女の名は牧野由佳、僕はきっと身内の一人みたいな熱心さでそれを見ることになるだろう。
 BS各局は〝昭和の歌〟ばやりである。僕はこの番組のほかに「舟唄」が生まれるいきさつを語り、別の番組では美空ひばりと作曲家米山正夫との親交ほかのあれこれを話す忙しさになった。今年はじめ「昭和の歌100・君たちが居て僕が居た」を出版、そんな時代と歌に僕なりのケリをつけた気分でいたのに何ということか!
 「他に適当な人が居ないもんで...」
 と言われながらあちこちで打ち合わせの長広舌である。
 《そうか、俺は昭和の流行歌界わいの、数少ない生き残りになったということか》
 事態をそう鵜呑みにしながら、この夏、顔を思い浮かべる親しさで偲ぶ人の多さに、思いは複雑である。
週刊ミュージック・リポート