新歩道橋961回

2016年10月9日更新


 《さて、例のピョンピョンを見に行くか...》
 9月25日午後、逗子から湘南新宿ラインで新宿へ出て、中央快速で中野へ一駅。日曜日で他に仕事もないし...と、気楽な1時間ちょっとのはずだった。見に行く相手は水森かおり、その浮き浮き気分に、割り込んだ奴がいる。サンデー毎日の編集次長になったという高堀冬彦。スポニチ時代の兵隊で、連載企画をどうか...という話ならそうすげなくも出来ない。
 同じ建物で相手払いのコーヒーを一杯のあと、やれやれと辿りついたのがサンプラザ・ホール2階席の3列20。後ろの列に弦哲也、伊藤雪彦、ちょいとはなれて仁井谷俊也らの顔がある。「やあやあ」「どうもどうも」と、いつもの調子のあいさつをしたところで緞帳が上がった。
 舞台中央、高い階段の上に板付きで、ライトを浴びたのがお目当ての水森。これが豪華版のドレス、裾が落下傘状に広がっているのは桂由美のデザインとか。ご当地ソングの女王と呼ばれて歌手生活も満20年。すっかりスター歌手のいでたちだから、
 《あれじゃピョンピョンは無理か...》
 こちらは歌に聞き入る態勢になる。一曲目が「鳥取砂丘」で「ン?」となったのは、いつになく歌の感情移入が濃いめ。数多くのヒット曲を、歌のドラマと主人公を客観的、お天気お姉さんふうに歌って来たのとは、だいぶ味わいが違う。ワンマンショー、2時間余を歌う実演型唱法なのか、年に一度の大舞台で、アドレナリンどばどばなのか。
 客席はペンライトの海。それが思い思いに揺れて、やや統一性に欠けるあたりから、彼女の名を呼ぶ男たちの怒号が沸く。委細かまわず歌うのか? と見てやれば、そこはファンへの対応、サービス満点のこの人らしく、1曲終わったらお待ちかねの〝ピョン〟が出たが一回だけ。お次は「釧路湿原」で、僕は亡くなった作詞家木下龍太郎の顔を思い浮かべる。
 《ここまで大きくなった彼女を見せてやりたかったなあ》
 が、年寄りじみた感慨である。暇さえあればネタ帳を道づれに、やたら旅をした歌書き。僕が水森と親しくなったのは「尾道水道」あたりだから平成12年。あれは仁井谷の詞だったが、その次の「東尋坊」から木下作品のシングルが6枚。日本中をあちらこちらで、微妙に手をかえ品をかえる作曲の弦哲也ともども〝ご当地路線〟の土台を作り花も咲かせた。五能線なんて、木下が歌にしなけりゃ誰も知らなかったろう!
 アルバム「歌謡紀行15」は、目下ヒット中の「越後水原」をメインに、書きおろしの「最果ての海」「立山連峰」「宛先のない恋文」などを加えているが、そのお披露目のコーナーも水森はちゃんと歌う。心配性の当方の二つめの「ン?」は歌声のばらつき。情感の彫りを深める歌唱が、中低音で多少揺れるのは、人気歌手によくあるオーバーワークのひずみか。しかしそれも、哀切の高音部を軸に、歌いながら修正するあたりに、この人のキャリアを感じる。
 「わァ、すっごい」「やったあ」に「ありがとうございます」を連発、例のピョンピョンも随所にちりばめて、幕切れは「紅白歌合戦」で登場した極彩色の鳳凰に乗っての一曲。各地のコンサートでも売り物にしていて、名前は
 「おおとりのピースケ」
 と、無邪気な口調で笑いを誘った。
 《幾つになってもこの人の娘っぽさの魅力は変わらないなあ》
 と終演後、僕が一息ついたのは、サンプラへ行く都度、ひとりで寄ることにしている南口商店街の中のそば屋〝さらしな〟だ。二八のそばがなかなかだが、それにも増して豊富なのが酒の肴。さっそく「そば味噌」と「いかの沖漬け」のミニ「いちぢくの味噌焼き」なんてのをつまんで、そば焼酎のそば湯割りをチビリチビリになる。
 《そうだ、彼に声を掛ければよかったかな》
 と、お仲間の顔をいくつか思い浮かべたが後の祭り。その途端、アッと忘れ物を思い出した。楽屋に寄らなかったばっかりに、彼女との恒例のハグをし損なっていたのだ。「尾道水道」の時からずっとなのに...と、酒の酔いで揺れたのは、寄る年並もわきまえぬ未練ごころだった。
週刊ミュージック・リポート