新歩道橋977回

2017年4月2日更新


 人間国宝の娘という良血がいる。父が文楽の人形遣いで二世桐竹勘十郎。子供のころから役者になり、今は本格派女優で大学教授、大阪府の教育委員ほかを歴任する。三林京子の略歴だ。そうかと思えば九州大牟田の、芝居小屋の奈落で生まれたと言う男もいる。美貌が「生きる博多人形」の異名を持つ大衆演劇一方の雄・松井誠である。大学を卒業後松竹新喜劇に入団、藤山寛美に喜劇を学んだのが曽我廼家寛太郎、その先輩格が江口直彌なら後輩が植栗芳樹。亡くなった劇作家花登筺の唯一の弟子役者坂本小吉もいる。
 スタッフ側には、少年時代にやんちゃで名を轟かせた男が今では神妙な歌謡界紳士、やたらにノリのいい酒好きの劇場プロデューサーは笑顔を絶やさない。酒といえば剛の者の女優が座長部屋を手伝い、男装の美女? と見まがう一人とバイオリン弾きを合わせた3人が、呑んべえ3女傑である。女性が強いのは近ごろ、どの社会も同じことなのか? そう書く僕は新聞記者くずれの老優で傘寿、キャリアは10年。それやこれやを仕切っているのが、歌手の川中美幸だが、ま、この人も元はと言えばお好み焼き屋の看板娘だ。
 《人間社会の縮図みたいな入り乱れ方だ》
 と、僕が感じ入っていたのは、3月、大阪新歌舞伎座の「川中美幸特別公演」を支える人々で、川中の芸能生活40周年記念のサブタイがつく。芝居の「めおと喧嘩ラプソディー」(金子良次演出)は、川中・松井と三林・寛太郎の2組の夫婦の痴話ゲンカの大騒ぎ...と、前号に書いた。僕が貰った役は、川中・松井のケンカのモトを作る料理屋のおやじともう一つ、ショーに本名の音楽評論家で出る件も既報の通り。ところが―。
 観客の知らぬ場所で僕は、相当な数の役を貰っている。手押し車を押す徘徊老人、花売り娘、短距離ランナー、何者か判然としない女装老人、花見酒でニヤつくフーテン等々。あげくの果ては、エレベーターの壁に張りつく黒装束の物の怪までやった。企画・演出!? するのは、やたらに賑やかでノリのいい女優大原ゆうと藤吉みかのコンビで、後輩の僕は言われるままに唯唯諾諾、彼女らと競演の栄に浴する。
 「一体何をしているの?」
 と思われるだろう。実は現場が劇場の頭取部屋前。第二部のショーの舞台へ出かける川中を見送る場面で、いつもなら神妙に「行ってらっしゃい」と頭を下げるところだ。それをお笑い化するのは、川中を大喜びさせて送り出したい前記2女優の魂胆と浪花人らしいサービス精神。連日、2回公演の時は2回、ちゃんと続けるものだから、周辺はいつも笑いの渦になる。たまりかねて乱入した江口直彌が北朝鮮のボスまがいになると、僕らは「マンセイ!」「マンセイ!」...。
 川中は40周年分のヒット曲を歌い綴り、独特の話術で終始客を笑わせる。浪花の諧謔、まさに水を得た魚で、こればかりは他の追随を許しっこない境地。そんな空気が楽屋うちにも満ち満ちるのは苦労人の彼女の気遣いも手伝ってのこと。
 「ボス!(川中は僕をこう呼ぶ)何をさせられてるの!」
 と、たしなめかけるのだが、そのうち「今回の趣好は?」の顔になるから、笑いのお返しの演出女優も大変で、ついには
 「ネタギレ!」
 の張り紙をプロデューサーのおでこにガムテープではりつける苦肉のシーンまで出た。
 ここ何年か、大阪公演の都度行きつけになった居酒屋(隠れ家につき店名はヒミツ)の女将も見に来て、
 「元気を貰ったわァ」
 と芯から嬉しそうになった。舞台の表裏がこうで、文字通りに笑う門には福が来ているのだ。
 しかし...と、ここで力説しておかなければならないのは、皆がおちゃらけているばかりでは決してないこと。芝居もショーも、各人の出番はひたすら真摯で、そのアンサンブルが笑いを生み、増幅するのだ。もう一つ特記すべきは大阪在住の作詞家もず唱平のマネジャーや弟子からの昼食の差入れ。2回公演のほど良い時刻に手づくりの心づくしが、あたたかさといい味で運び込まれる。ペイペイの老優が殿様気分になるひとときだ。それやこれやの〝なにわ人間縮図〟の中で一カ月、僕の「大阪の春・日々是好日」は続いた。
週刊ミュージック・リポート