新歩道橋978回

2017年4月9日更新


 肩を叩かれて振り向いたら、堀内孝雄の笑顔があった。久しぶりだから「やあやあ!」「どうもどうも...」になる。パーティーの一隅での立ち話。
 「みんな逝っちまうからさ。頑張っていてよ。ま、あんた、あんまり変わらないから、安心するけどさ」
 励まされるのは僕の方で、
 「ん、まあな...」
 と、返事が口ごもる。そう言えば歌社会では最近、かまやつひろしが先に行っちまったし、2日後の3月31日は、作曲家船村徹の納骨と四十九日法要が藤沢の寺である―。
 29日夜の帝国ホテル。僕らが出席していたのは松尾芸能賞の贈賞式と祝賀宴。堀内は「作曲家とエンターティナー両面での活躍で、独自の世界を構築し、日本の歌謡音楽文化に大きく貢献した」として、優秀賞を受賞していた。
 「だけど俺はさ、こっちのおめでたで呼ばれてんだよな」
 と、僕は僕のテーブルを振り返る。何人かの知人に囲まれているもう一つの笑顔は大衆演劇の雄・沢竜二。こちらも「大衆演劇の誇りを保持しつつ、映画やテレビ、演劇に邁進してきた功績は称賛されよう」と、優秀賞を受賞しているのだ。同じテーブルには、沢との親交が40年を越す放送作家のあかぎてるやや、演劇評論家として活躍する木村隆らがいる。木村とはスポーツニッポンで同じ釜の飯を喰った同志だ。
 「俺は自称ドサ役者の沢さんの、全国座長大会に毎年呼ばれてるドサ役者見習ってとこだからさ」
 と僕。
 「大阪・新歌舞伎座から帰って来たばかりだろ」
 とあかぎが笑う。
 そんな輪に加わるのは、松尾芸能振興財団の理事で賞の選考委員を兼ねる井出博正、つまりは作詞家のいではくで、
 「そうか、あんたは役者としてこの宴に参加してるんだったな」
 と、俄かに合点した顔になった。この賞は昭和55年に始まって、今年が第38回の歴史を持つ。その会場で突然、歌謡界と大衆演劇界が合流したのだから面白い。
 受賞記念のステージで、堀内は「愛しき日々」を歌った。人気グループのアリスが活動を停止、5年ほどの暗中模索のあと、堀内は昭和61年にこの曲がブレーク、ソロ・シンガーとしての地盤を固めた。こんな出番で1曲を選ぶとしたら、やはりこの曲になるのか。僕は盛大にヨイショをし、昨年の日本作詩大賞受賞でわが意を得た「空蝉の家」を期待したが、
 「それをやっちゃプロモーションになって、失礼でしょ」
 と、堀内のスタッフから悪ノリをたしなめられる一幕もある。
 沢の方はといえば例によっての快気炎で、
 「ラジオをやろう。言いたい放題の奴をな。今なら俺、どんな事でも言えるし、言いたいことは山ほどあるんだ」
 けしかけられる放送作家は、それもそうだ...とその気の顔つき。世情やたらに右傾化して、剣呑な空気が日に日に強い。太平洋戦争とその前後の苦難を知る世代だけに、僕らはじっとしてはいられぬいらだちが先に立つのだ。
 「あんたも手伝ってよ」
 と言われれば、何でもする気になる。
 ところでこの夜の松尾芸能賞の全容だが、大賞が和太鼓で独自の世界を作った林英哲。沢、堀内と一緒の優秀賞は舞踊の西川左近、歌舞伎の中村錦之助で、新人賞が義太夫の鶴澤津賀花と琴の遠藤千晶。特別賞が無声映画の活弁を独自の話芸に発展させた澤登翠という面々。伝統的な芸能に今日的な魅力を加え、その研鑽の成果をグローバルに、世界に問う向きが目立った。受賞ステージで圧倒的だったのは林英哲の太鼓。乱打の演奏に重ねる謡ふうな歌声は、ひなびた原初的な響きから、やがて祈りにも似た昂揚を示した。
 「いやあ、いいものを観せてもらったなあ...」
 いつもの悪ノリ癖が始まった僕は、銀座へ居酒屋探しに出かける。長く常連だった「いしかわ五右衛門」が閉店、新しいねぐらを求めて近ごろは、その界隈を転々の日々なのだ。
週刊ミュージック・リポート