新歩道橋979回

2017年4月23日更新


 作曲家船村徹の墓は、神奈川の藤沢・片瀬の高台にある。眼下の相模湾越しは正面に富士山、左手に江ノ島を望み、右手手前には小学校。ウィークデイには子供たちの声がにぎやかだろう。
 《鳳楽院酣絃徹謠大居士には、似合いの場所ということか...》
 高台と聞いて坂を上る覚悟をしたら、少し回り道をするが近くまで、車で行けた。墓参者の利便まで勘定に入っていて何よりだ。
 高野山真言宗・泉蔵寺。3月31日の午後、四十九日法要と納骨が、そこで営まれた。参加したのは福田佳子夫人と家族に山路匂子、森サカエと静太郎、天草二郎、走裕介、村木弾の弟子にOBの香田晋、それに境弘邦と花屋の鈴木照義と僕。ごく内輪で...と招かれた面々だ。法要のあとの会食、遺影の傍には「従三位ニ叙ス」と記された内閣総理大臣の書状が飾られる。
 40代めくらい...と言う住職は気さくな男盛り。歓談のお供は佳子夫人の故郷・金沢の銘酒「加賀鳶」で、故人が愛飲したものを僕らはグビグビやった。墓に刻まれた船村の筆跡「楽」の一字が、妙に懐かしく、席は何だかすがすがしいくらいの雰囲気。気ままに生き、立派すぎるくらいの仕事をし、功なり名遂げた84才。参会者がみんな「大往生」と捉えた船村の生涯だったせいか。
 雨がぱらついたが、春の気配はたっぷりめのその日から4日後の4月4日、サンパール荒川の「夜桜演歌祭り」に出かける。あっという間に桜が咲いて、ぴったりのこのイベントは、5年前にハワイで客死した長良グループ長良じゅん会長が発案したもの。手持ちの人気歌手を揃えて年に一度東京23区を回り、福祉に寄金する。今回は18回めで氷川きよしのキャリアと同年数だ。「40才になった」と言う彼の歌を聞きながら、「箱根八里の半次郎」は、長良会長の決断の賜だったと思い返す。山川豊、田川寿美、水森かおりの歌にも彼の面影がダブる。没後5年、ちゃんと遺志が生かされているのが嬉しいが、さて、残る5回分の5年を、僕は元気で通えるものかどうか...。
 翌4月5日は東京ドームへ。美空ひばり生誕80周年のトリビュート・コンサートで、歌謡曲系とポップス系の人気者が大勢参加した。さすが! の歌を聞かせたのは「みだれ髪」の五木ひろし、坂本冬美は「ひばりの佐渡情話」を冬美流の歌唱でなかなか、華原朋美の「一本の鉛筆」が出色の出来だった。ポップス系はひばりソングの曲の起伏と譜割りの細かさがなじみにくそうだが、華原は似合いの曲を得たかも知れない。堀内孝雄の「お前に惚れた」はシャレの気分か。
 フィナーレで「愛燦燦」を歌った大勢の歌手たちは、あの100メートルの花道を三々五々、にこやかに辿った。今や伝説のコンサートになった往時の幕切れで、美空ひばりがいつ倒れるか...の危機感の中を戻った花道である。観客にはそんな気配を、毛ほども見せなかった彼女の気丈さを思えば、感慨は深いものになる。節目ごとに大きなイベントを打ち続ける、息子加藤和也・有香夫人の〝ひばり継承〟と〝展開〟にも、なみなみならぬものを感じる。
 それから2日後の4月7日、今度は作詞家中山大三郎の13回忌法要で、高輪の正満寺である。気っ風こざっぱりの三佐子夫人がてきぱき取り仕切り、弟子のアレンジャー若草恵や歌手の半田浩二が立ち働く。住職の読経に声を合わせ、南無阿弥陀仏を6回ずつ。墓のそばでしだれ桜を眺めたが、そう言えば桜のエピソードが二つ。入院先で夫人が「桜の季節だね」と言ったら、大三郎は筆談で「元気でこその桜だろ」と答えた。それから間もなく逝った彼の棺は、大好きだった相模カンツリー倶楽部の満開の桜を眺めて斎場へ行ったものだ。
 「人生いろいろ」「珍島物語」「無錫旅情」などをプロデュースした〝心友〟山田廣作は体調不良のため墓参だけで帰った。それが少々寂しかったが会食の席は、大三郎らしい面白エピソードが山盛りの賑いになった。
 桜の季節、花見の宴のにぎわいをニュースは伝えたが、僕のこの季節は感傷的なくらいに、親交のあった人々を偲ぶ1週間になった。中山には64才で逝かれた心残りがあるが、いずれにしろ、思い出の人々の生きざまは、桜みたいに潔よかったように思えてならない。
週刊ミュージック・リポート