新歩道橋980回

2017年4月29日更新


 「下手ウマ」という魅力がある。表現は決して上手ではないのだが、得も言われぬ味わいがあるケース。歌でも芝居でも時おり、そういう持ち主に出会うことがある。軸になるのは本人の個性とは思うが、長めの年月の中でいい感じに発酵して、独特の風味を作る。ジャンルを問わず、にじみ出るのは人間味であることに変わりはない。
 〝無名のスーパースター〟を自認する歌手の日高正人が、最近そういう方向に変わりつつあることに驚いた。4月16日夜、東京プリンスホテルで開いたディナーショーを見てのことだが、
 「いい歌を聞いた。あの人らしい味が濃くなっている」
 と、知人の何人かが感に堪えぬ顔になったのを見ると、あながち僕の身内褒めばかりではない。
 ま、長いつき合いであることは確かだ。うっとおしいくらいに、あつかましく迫って来るのだが、どこか憎めないところがある。いつのころからか「あにさん」と呼ばれるようになっていて、
 「お願いしますよ、よろしくね」
 を連発される。留守がちなのを承知で電話をかけて来て、それが立て続けに何度でも。昼前後に葉山の自宅を出て、帰宅は深夜という当方の生活パターンを知りながらのことで、おしまいには留守電に、
 「たまには出てくださいよ。つめたいんだから」
 などとボヤいている。これにはもう、笑ってしまうしかない。
 「一生懸命が背広を着て、汗水流して走ってる奴」
 と、僕は求められる都度そうコメントをして来た。声がいい訳でもない。歌がうまい訳でもない。イケメンなどでは決してないし、第一、もういい年の容貌魁偉だ。それなのに放っておけないのは、無類の人なつっこさと一生懸命さのせい。おまけに電話魔でこれが〝人たらし〟のあいつの手口。彼が還暦を迎えたころには「もう先行きはないから、歌手をやめろよ!」と、乱暴な忠告!? をしたこともある。
 もともと〝張り歌〟を得意とした。武道館や横浜アリーナを満杯にした伝説が売りの大音声。それに加齢による衰えが来ても、その歌唱のまま行こうとするのが無残に思えた。ところが70才を過ぎたあたりから〝語り歌〟に転じた。本人にすればやむを得ずの窮余の一策だったろう。ところがそれがいい目に出た。無器用なのが歌い慣れして、訥訥の語り口に変わり、キャラに似合いの味を作りはじめる。生来の口ベタが脳梗塞をやったモゴモゴも加えて、妙に率直な説得力を得たのだ。
 70才を過ぎて発声からやり直した努力に、目をむいて驚いたのは亡くなったシャンソン歌手石井好子の例。ベルカント唱法で鍛えた歌が、人肌の人間味に変わったことに脱帽した。功なり名遂げた大物が...と感じ入ったのはその意志と意欲の強さ。日高の場合は「決意」よりも「成り行き」であることに相違を感じるが、いずれにしろ《ほほう!》に変わりはない。
 レパートリーが彼の新境地の手助けになってもいる。「やじろべえ」「少しだけ悲しんで」「人生山河」「いいから」「木守り望郷歌」とタイトルを並べれば判ろうが、多くが中年過ぎの男の苦渋に触れている。中には〽もう少し生きてもいいですか? なんてフレーズも出て来て、それが日高の年かっこうや今現在の心境に通じる気配。作詞家たきのえいじと作曲家杉本眞人が、そんな歌づくりに貢献していて、もはやヒット狙いの色恋沙汰ソングは似合わない。だとすれば...と本人の生きざまに、歌づくりの的を絞った成果だろう。それも上から目線ではなく、おずおず問いかけて来るあたりが、いい按配なのだ。
 ディナーショーの客には、日高とのくされ縁が続く熟年男性とその連れが目立った。「人たらし」は「男たらし」で、自然身内っぽい共感の輪も広がる。それを感じ取ってか日高は、
 「もう一度武道館をやる!」
 などと言い出したりする。すぐに〝その気〟になれるのがこの男の強味なのだが、当方は「やれやれ...」とため息をつく。それでも彼が獲得した「下手ウマ」の世界に、拍手を送ってしまう。もはや、どこまで続くぬかるみぞ! である。
週刊ミュージック・リポート