新歩道橋984回

2017年6月11日更新


 午前10時過ぎ、作曲家徳久広司が「北へ帰ろう」を歌いはじめる。5月29日のお台場、フジテレビのスタジオ。
 「徳さん、こんな早くから、声出るか?」
 「ま、なんとかなるでしょ」
 なんて会話をしてのこと。ギターの弾き語りだが、別に気負う気配もなく、彼はいつもながらの居ずまいと物腰だ。
 「北へ帰ろう」は徳久の作詞作曲。昭和50年に歌手としてもブレークした作品だが、僕は彼の歌をその少し前に、スナックの弾き語りで聞いている。六本木通りと恵比寿から来る通りがぶつかった突き当たり、その店は作曲家小林亜星が経営、弟子の徳広がアルバイトで歌っていた。
 「いい歌だな」
 とニヤリとして、徳久とその歌をテレビに出したのは演出家の久世光彦。小林主演で撮っていた「寺内貫太郎一家」に急拠流しの役を作った。人気番組だったことも手伝って、この歌は一気にブレークする。沢田研二の「時の過ぎ行くままに」や小坂恭子の「想い出まくら」などと、ヒットチャートのトップを争う勢い。しかし徳広が歌手だったのはこれ1曲限り。未練げもなく作曲に専念、今日の成功をつかんだ。小林旭の大ファンだった彼が、旭に歌って貰うとすれば...の夢を託した曲が「北へ帰ろう」だった。
 この日収録したのは「名歌復活」という番組の第2弾。去年の12月10日にBSフジで一つめを放送したら2%超の視聴率。BS放送ではびっくりする数字だとかで、勇躍2作めをやることになった。前回の出演者が弦哲也、岡千秋、杉本眞人で、雑談? の相手が僕とタレントの松本明子。作曲家たちが自作の思い出の曲、おなじみの曲を弾き語りで歌い、それにまつわるあれやこれやを酒場談義ふうに話した。放送後僕は、歌社会以外の知人から
 「何であんただけ、あんなに威張ってるのよ」
 とけげんな顔をされた。確かに僕は番組内でも彼らを「弦ちゃん」「岡チン」「杉本」と呼んで「お前なあ...」を連発している。いつもの交友をそのままくだけた調子でという、制作側の注文があってのことだ、いずれにしろ極く風変わりな趣向。番組自体がひどくリラックスした雰囲気にはなった。
 第2弾はその3人に徳久が加わった。
 「四天王勢揃いです」
 と松本が言えば、
 「なにシテンノ? でしょ」
 と徳久がまぜかえす雰囲気は前作と変わらない。
 杉本眞人が「M氏への便り」を歌う。これは売り込みに行ったレコード会社が「自分で歌ってみれば」と言ってレコード化したから、彼の作曲家、歌手としてのデビュー曲になった。聞けばすぐに判る吉田拓郎調で、当時の杉本は拓郎に追いつけ追い越せだったらしい。徳久の場合の旭に杉本の拓郎と、触発された歌手が明瞭で、歌書きとしての出自が判然として面白い。
 弦哲也が「人生かくれんぼ」を歌う。五木ひろしとは一味違う仕立て方で、
 「いいもの持ってんのにな。何故売れなかったろ」
 と、弦が昔、田村進二の芸名で歌手デビューしたころの話もチラリ。岡千秋が「黒あげは」を歌うと、あのしわがれ声は、新宿の小さなクラブで弾き語りしていたころからの、酒と煙草の賜だよなと話がはずむ。この曲は作詞家星野哲郎のぶらり旅のお供で、20年以上通った北海道・鹿部で毎年、岡の歌で聞いた。作詞は吉岡治、僕に言わせれば、隠れた名曲だ。
 美空ひばり生誕80周年にちなんで、それぞれが彼女に書いた曲も含めて、この日歌われた〝名歌〟を列挙すれば、弦が「小樽運河」「裏窓」岡が「ふたりの夜明け」「さんさ恋時雨」杉本が「花のように鳥のように」「なつかしい場面」徳久が「ヘッドライト」「おまえに惚れた」お手伝い役の本職、石原詢子、山口かおる、椎名佐千子、桜井くみ子もそれぞれ、彼らの代表作を歌った。
 弾き語りの楽しさは、多少の遊び心も含めて、歌う人の心の揺れ幅や人間味がたっぷり聞けること。それに特筆すべきは全曲フルコーラスで、歌詞の起承転結に賭けた、詩人たちの思いの丈がまざまざだ。歌はやっぱり三番まで聞かねば嘘である。
 PRめくがこの番組、放送は7月15日のBSフジ、午後7時から2時間。どうぞお楽しみに!
週刊ミュージック・リポート