新歩道橋985回

2017年6月18日更新


 北海道・鹿部に居る。6月6日などびっくりするくらいの晴天。鹿部カントリークラブから噴火湾をはさんで、対岸の室蘭や有珠山を含む山並みがしっかりと見えた。
 「たらこの親父の喜寿の祝いだもの。天気だってその気になるさ」
 東京から出かけた作曲家岡千秋と作詞家里村龍一はまず乾杯、すっかり〝その気〟だ。
 「そういうもんですか」
 亡くなった作詞家星野哲郎そっくりの長男有近真澄も、目尻しわしわの笑顔になる。
 たらこの親父と呼ばれるのは、町の実力者、道場水産の道場登社長。かつて星野が20余年も〝ぶらり旅〟と称して通った漁師町の勧進元だ。それが星野の没後7年たっても
 「お前らが先生の名代で来い」
 と、声をかける寂しがり屋だから、お供の僕らが〝ぶらり旅〟の跡目を継いでいる。そのボスが、めでたく77才、喜寿を迎えた。何はおいてもこの際...とばかり僕らはおっとり刀で出かけた。
 遊び人集団!? だから、スケジュールはハードだ。6日午後に着いたらすぐゴルフ、温泉と盛大な酒盛りがついていて、翌7日は午前5時半集合で釣りに出かけ、戻ると一息ついて道場氏の祝賀コンペとまた温泉、酒盛りである。宴には、釣ったばかりの「あぶらっこ(あいなめ)」の刺身や煮つけが出るほか、カニもウニもと、とれとれの海の幸が山盛りだ。
 釣りは第35盛漁丸(3・5トン)通常は〝さし網漁〟に出るやつに乗り、1キロ半ほど沖へ出る。鹿部は人口5千弱の漁師町。その本職が何人も、獲物をはずすのから餌のつけ替えまで、さすがの手際で手伝ってくれる。王侯貴族気分の僕は5匹は釣った。もっともそのうち3匹は、ごく小型でいたいけないから、海に戻す。釣り好きで言い出しっぺの岡は、それなりの風情と釣果、元漁師の里村はタコまで釣って、これじゃ同志討ちだ。
 宴の主の道場社長は、ここのところ体調を崩していて車椅子。コンペのあとの祝宴に、僕らは隠し球を用意した。みんなで作詞をし、岡が作曲と歌を担当した珍曲「登ちゃん祭り」
 〽朝から酒だぞ、文句があるか...
 と、道場氏のやんちゃな日常から、
 〽義理と人情をたすきにかけて(中略)あんた昭和の男だね...
 と、一代で財を成した仕事ぶりをヨイショ、
 〽ゴメもカモメも輪になって踊れ!
 〽漁師みんなでカラオケ歌え、喜寿だ、めでたい77だ...と大騒ぎする手拍子ものだ。
 岡のピアノの弾き語りがヤンヤヤンヤの反響。
 「たらこの親父が喜んだぜ、涙ぐんでたヨ」
 と、僕らは自画自賛する。
 ニコニコ見守っているのは道場夫人の尚子さん。「ありがたい」「おやじもまだまだ元気です」と、恐縮のていなのは長男の真一氏と二男の登志男氏、この兄弟が道場水産の専務と常務で、親父をサポート、花束贈呈は孫の美女2人のお役目。
 ステージを圧したのは、業界おなじみの花屋マル源の胡蝶蘭で、10本ほどが団体でワッ! とばかりに咲き誇るのそばで、空輸した鈴木照義社長が〝どや顔〟だ。もう一人「行きたい、行きたい」とついて来た元コロムビアのディレクター大木舜は、ツアーの趣旨などそっちのけで好物のカニにむしゃぶりつく。一晩で2匹は喰ったか。
 生前に星野哲郎は、毎夏この町へ通って〝海の詩人〟のおさらいをした。
 「人間、潮気が抜けたらおしまいだからな」
 と、漁師と定置網を引き、酒とゴルフに興じだ。小柄でまるで少年みたいな眼の道場氏は、
 「先生はめんこいなァ」
 と、ぞっこんだった。星野の北海道後援会長を自称、2人は兄弟仁義同様の親交を深めた。
 「それもご縁、深い絆のほどがよく判ります」 と、神妙にあいさつをした息子の有近が一転、岡のピアノで「兄弟仁義」をシャウトしたから、盛田昌彦町長以下参加者60人余が粛然となり、すぐに騒然となった。詩人の血が歌い手につながっていたことに仰天したのだ。
 ところでゴルフだが、僕はこのコンペで、ブービーメーカーの恥をさらした。人生80年で初めての体験である。
週刊ミュージック・リポート