新歩道橋993回

2017年9月10日更新


 「全然久しぶりって感じはないわ。いつもテレビで見てるからさ」
 東宝現代劇75人の会のお仲間、村田美佐子や古川けいからそんな声がかかる。BSテレビの昭和歌番組が、そんなに注目されているのか...と、改めて感じ入りながら、
 「いやいや、どうも...」
 などと、こちらはあいまいな対応で笑ってみせるしかない。ここのところBS各局はその種の企画ばやり。あちこちからコメントを求められているうえ再放送も多い。
 作曲家船村徹が2月に亡くなって、追悼番組が沢山あった。行く先々で出会うのは、内弟子筆頭の鳥羽一郎で、
 「また、お前か!」
 なんて冗談があいさつ代わりになる。美空ひばりは今年生誕80年で、こちらも関連ものがあちこちで放送された。そう言えば作詞家の星野哲郎も...と、別の制作プロダクションから声がかかる。山口県周防大島の記念館は、歌好きたちがひっきりなしでめでたく開館10周年、記念行事に呼ばれて行くと出迎えるのは、また鳥羽の笑顔だ。作詞家阿久悠は今年が没後10年、怪物の名をほしいままにした作詞生活が50年の勘定。ドラマになったし、遺作も出てくる。NHKのETVが特集して、いきものがかりの水野良樹といろんな話をした。北島三郎特番もあって、武田鉄矢としゃべったものもBSで近々放送予定...。
 「それにしても...」
 と、劇団のお仲間が不思議がる。マネジャーも居ないから、売り込める訳でもなかろうに...という疑問だ。
 「昭和の歌社会の裏表に通じる先輩たちが、みな亡くなっちゃって、お前しか生き残っていないからって、制作者たちがおだてるのよ」
 と僕が答える。相手はすかさず、
 「そうか、消去法で出番がくるのか!」
 とジョークの相づちを打つ。大先輩の役者で演出家でもある丸山博一が、
 「あれ面白かった。作曲家4人相手に、あんたがポンポン言ってたやつ...」
 と、2本目を放送した「名歌復活」の話を始める。弦哲也、徳久広司、岡千秋、杉本眞人が自作を弾き語りした企画で、彼らと友だちづきあいの僕が、やたらに気安いタメグチで番組を進行した。歌書きたちの生きざままでうかがえた気分で、生の感触が興味深かったらしい。
 「ところで船村徹という人は...」
 と、話に入って来るのは僕が演劇畑の師匠と仰ぐ俳優で作、演出家の横澤祐一。船村、星野、ひばり、阿久とは密着取材歴が相当に長いから、こちらは大ていの質問に十二分に答えられる。そうねえ、あと作詞のなかにし礼、吉岡治、作曲の三木たかしあたりだって...と僕が言い出すと、酔余の歌談義は際限がなくなってしまう。
 《密着と癒着は違う》
 これが50年を越す取材生活で、僕が心がけ、後輩たちにも言い続けて来た決めごとだ。歌がひとつあるとする。僕は宣伝マンから歌手、制作者、作詞家、作曲家、編曲者...と、歌が生まれた道のりを、根掘り葉掘りしてさかのぼった。相手さんが心を開いてくれさえすれば、節度を保ちながらどんどんその生き方、考え方にまで深入りする。作曲家吉田正をはじめ歌社会の一流の人々から、そういう形で知遇を得た。スポニチの音楽担当記者から雑文屋の今日まで、僕は大勢の達人たちに育てられ時代そのものも知った。数えてみたら船村歴など54年、「外弟子」を許された年月である。生まれも育ちも貧しい流行歌評判屋としては身にあまる光栄としか言いようがない。
 「つまりさ、それやこれやがBSに出てる僕の、年寄りの知ったかぶりのネタなのよ」
 役者先輩諸氏との酒盛り雑談を、そういって僕は〝チョン!〟にする。8月28日のそんな昼から夜半まで、一体何をしていたかと言えば、東宝現代劇75人の会の来春2月公演のポスター用撮影が発端である。横澤祐一が作、演出する深川シリーズの最新作で、今度は永代橋周辺を舞台にした物語を鋭意執筆中だと言う。ついでといっては不遜だが、僕は個人的ポートレートも撮ってもらった。この公演を機に僕の「アー写」がそれに変わる。「アー写」とは「アーチスト写真」の略。出演するあちこちのチラシやポスター、プログラムをはじめ、執筆した原稿のプロフィール欄など、この写真の使用は多種多様だ。二足のわらじの超80才が、アー写ねえ...と我ながらテレるが、少し若い時期のものでお茶をにごす訳にはいかなくなっているのだ。
週刊ミュージック・リポート