新歩道橋995回

2017年9月23日更新


 8月末、夏の終わりを信州・蓼科で体感した。お次は9月のはじめ、確実にもう秋...とうっとりしたのが彦根~長浜の琵琶湖畔の旅。酷暑の東京を離れて、旅はいいな、季節のうつろいを感じるものな、と味な気分になった日々...。
 信州で一足早い秋に出会ったのは、8月30、31日の2日、三井の森蓼科ゴルフクラブで2プレーした時だ。誘ってくれたのは隣のページで「あの日あの頃」を連載中の境弘邦。コロムビアの制作を仕切っていたころからのつき合いで、同行者は飯田久彦、加藤和也の2人という。飯田はビクターで制作を始めた時分から今日まで、親交に切れ目がない。加藤は美空ひばりの息子になる前後から、年は離れているが友だちづき合いが続いている。ま、気のおけないことこの上なしの4人組だ。
 それにしても、2日続けてのゴルフは骨身にこたえた。よせばいいのに境とは永久スクラッチで〝マングース〟の異名を持つ彼のしぶとさに、今回もコテンパンにやられた。一転、美味を堪能したのは彼の行きつけのレストラン「歩庵」魚も肉も上等でほどの良い分量。つけ合わせの野菜が一品ずつ、本来の味と風味をしっかり伝えて、高原の自家栽培ならではだった。別荘の男4人の水いらず!? は、他愛のない昔話が深夜まで続く。境のいう「たまには骨休めを」は、骨がきしんだままだったが、魂の洗たくなら十二分の旅になった。
 彦根は前号に書いたが、作詞家もず唱平の歌書き50年記念コンサートに出かけたちょい旅。終演後、車で20分余の長浜へ移動する。いい気分の酒で気づけば、頬に夜風が冷たい。蓼科も夜は寒いくらいだった...と思い返して?今は、もう秋...なんて歌の文句を口ずさむ。一夜明けて窓外の景観に眼をみはった。海か! と思う広さで琵琶湖! である。確か長浜は、秀吉が城を築いたところ...と、新作映画の宣伝ごと合点したのは、読みさしの文庫本、司馬遼太郎著「関ケ原」のひとくさりだ。
 これが9月2日と3日の話で、その間、葉山の自宅に居たのは一日だけ。その後一週間ほど、蓼科と彦根の秋を反芻、9月11日に大阪へ出かけたら気候はまた夏に逆戻りしていた。福田こうへいの新歌舞伎座公演を見、演出家大森青児が主宰する作詞研究グループ「詞屋」の例会に顔を出す。ついでと言っては何だが、元「走れ歌謡曲」のパーソナリティー小池可奈の落語独演会ものぞく。修行5年「小池家可ん奈」の芸名も貰って、なかなか達者なものだ。和歌山あたりに集中豪雨...のニュースを横目に、日本の天気は一体どうなっちまったのだ! と文句を言いながら、こちらは大阪駈け歩きになる。
 福田公演は彼のヒット曲「母ちゃんの浜唄」をタイトルとモチーフにした芝居が面白かった。岩手の漁港で貧乏に育った少年が、集団就職列車で上京、築地魚河岸かいわいで働き、東京になじんでいく日々を、東京オリンピック前後の昭和30年代後半を背景に描く。東北なまりもそのまんま、福田に当て書きしたオリジナル脚本(作、演出堤泰之)を、福田がのびのびとやっていた。
 明治座でやって半年ほどの再演。その間に腑に落ちたもの、身についたものもあろうし、舞台慣れもしたろう。楽屋で会ったら本人が、
 「素人芝居ですから...」
 とポツリと言ったが、応分の自信が言外にある。母と子の人情話だが、共演の角替和枝、小林綾子、西山浩二、大竹修造らと、すべったりこけたりのオーバーアクションをちりばめた演出が、笑いと涙のおはなし仕立てでファンは大喜びだ。
 福田はメジャーデビュー5年め、歌謡界新旧交替の波の一角を占める勢いだが、歌の方は民謡時代から年季が入っている。新しいアルバム「魂(こころ)」のライナーノートに書かしてもらったが「一陣の風、山々に響く谺みたい」な声と節が、生の舞台だと多少ラフになり、かえって若さや精気につながっている。何曲か歌い収めを後奏の終わりまで、息つぎなしで歌い伸ばすあたりに「どうだ!」の気合いとヤマっ気が聞えた。
 お次は「詞屋」だが、私家版アルバム2枚目を作る気と、こちらも気合が入っている。前回はそれぞれの自信作(!)をレコーディングしたが、今回はコンセプトを浪花ものに絞った。歌づくりが東京に集中していることへ、大阪から一矢報いる気概を持つ集団のせいだが、作品の出来はほどほどで、意外性と鋭さとなるといまいち。もう一作ずつ頑張らにゃ...と憎まれ口で制作を延期にしたから、面々は夜、やや落ち込み気味の酒になった。
週刊ミュージック・リポート