新歩道橋1005回

2018年1月20日更新


 「心の中に底なし沼があって、書いても書いても、飢えています」
 年賀状の中の、ドキッとするフレーズである。
 「う~ん」
 としばし、虚を衝かれた気分になる。そこまであからさまに胸中を言い切るか!
 毎年、年賀状を山ほど貰う。ほとんどが歌社会の方々からだが、申し訳ないことに貰いっぱなしである。スポーツニッポン新聞の記者だったころからの〝甘え〟を、そのまま引きずっている。退社後フリーの雑文屋になって、一時は「このままではいけない」と思い込んだが、雑用繁多を言い訳にして今日にいたっている。
 役者をはじめて10年。こちらの世界はそうもいかない。何しろ無名の年寄りのお邪魔虫。各方面に迷惑をかけ、よくしてもらっているのだ。演出家やプロデューサーなど、目をかけていただいている向きには、新年のごあいさつは欠かせない。お世話になった役者の大先輩、楽屋が一緒になって一カ月も〝同棲状態〟のお仲間も右へならえだ。
 結果、賀状を差し上げる向きと頬かむりしたままの向きとが、まだらになる。これもまた申し訳ない差別!? と低頭しながら、冒頭のフレーズに戻る。「新年のおよろこびを申し上げます」という書き出しに続くもの。さて年賀状だが、これは私信だろう。私信をコラムに取り上げるのはいかがなものか...と少し迷ったが、相手も物書きだから、駄文への引用など大目に見てくれるだろうと、親しい分だけずいぶんと勝手な答えを出した。差出し人は作詞家の田久保真見である。筆文字のあて名書きからして、いかにもいかにもの筆致だ。こう書いちまってから、決心する。今年もまた、彼女の底なし沼から湧出するものを、聞き続けることになるか―。
 正月はバカにいい天気だった。元日・二日は寝正月、三日は山形から届いた銘酒「出羽桜・枯山水」をチビチビやった。毎年晩秋に天童市で開かれる「佐藤千夜子杯全国歌謡祭」の実行委員長矢吹海慶師からの貰いものである。〝特別純米・十年熟成〟とあるから只者ではない。矢吹師は地元妙法寺十八世の高僧だが、
 「酒と女は2ゴウまで」
 「仏はほっとけ!」
 などの迷言を吐きながらよく飲みよく歌う粋人。80才をとうに越しているが、舌がんのリハビリをカラオケでやるという剛の者でもある。
 サカナは北海道・鹿部から届いた海の幸。亡くなった作詞家星野哲郎のお供でずい分通った。通称〝タラコの親父〟の道場水産道場登社長とその後も昵懇の間柄だから、師匠の星野の遺徳ともいえようか。三が日くらいまではそんな調子で、さて、以後は2月芝居のけいこである。2月8日から12日までの7回、おなじみ劇団東宝現代劇七十五人の会の第31回公演で、演目は横澤祐一作、演出の「私ん家の先に永代」場所は大江戸線清澄白河駅そばの深川江戸資料館小劇場。永代橋畔のひなびた旅館が舞台で、そこに出入りする人々の哀歓を描く下町人情劇。僕は旅館の裏の開業医吉桐松尾という妙な姓名の中年男で、ちょこちょこ出て来て、多くの共演者にからむ滅法いい役を貰った。
 ところが、ところが! である。好事魔多しで、6日の朝にガタが来た。熱は出る、寒気はする、体の節々は痛い...であわてて近所の医院に駆け込んだら、
 「A型インフルエンザ!」
 と宣言された。テレビでは流行の兆しがあると言っていたが、何もこんな大事な時に、流行の先取りをすることもあるまいと唇を噛んだが後の祭り。この病気のウイルスが出なくなるのに、処置後5、6日はかかると言う。けいこ場でお仲間にうつしたら、それこそ大ごとだから、当分禁足の憂きめにあってしまった。
 新年早々、威勢の悪い報告になったが、12月にゴルフを3回もやり、
 「頭領はタフだねえ」
 とおだてられていい気になった罰である。以後は81才の年なりに、慎重に生活をしなければ...と肝に銘じながら、沢山あるセリフの自己練。お仲間はもう立ちげいこに入っているから、あせることひと通りではない。
 8日ごろからは爆弾低気圧とやらの影響で、寒波来襲、全国あちこちに大雪の被害が出ている。なぜか関東だけ晴れていて、僕は大荒れに荒れる葉山の海を見下ろしている。「年ですね。年を感じますよ」という芝居の中のセリフが、妙に身に沁みてリアリティを持つ閉門蟄居の日々に、うなだれている。
週刊ミュージック・リポート