新歩道橋1008回

2018年2月24日更新


 俳優内山恵司さんが逝ったのは昨年10月。その偲ぶ会は今年1月22日、日比谷のビアホールで開かれた。僕が所属する劇団東宝現代劇75人の会の大先輩である。86才、東宝の演劇を代表するその実績と人望に、びっくりするくらいの人が集まった。あの大雪の日の午後のこと。参会者の話は劇団を創設した劇作家菊田一夫を始め、一時代を作った森繁久彌、三木のり平らから有名女優陣のあれこれ、さながら商業演劇史のおもむきがあった。
 今回、2月8日初日で12日まで合計7回の75人の会「私ん家の先に永代」(作、演出横澤祐一)は、その内山さんの追悼公演みたいになった。夫人に先立たれた一人暮らしで病いを得、入退院を繰り返しながら、彼の舞台への熱意が衰えることがなかったと言う。病院の一室で横澤に、
 「俺の役を作ってくれよ」
 と真顔で言い、見舞いに行った丸山博一には、
 「吉井勇役は俺がやるんだ。何としてもやる」
 と話している。横澤も丸山も同じ劇団のお仲間だ。今回公演のポスターやチラシには、内山さんの姿が入っている。永代橋をバックに三々五々たたずむ出演者の左側一番奥に、杖をついているのが彼だが、横澤らが見舞った時は車椅子、起居に人の助けがいる衰え方。〝次の芝居〟が闘病の支えになっていたのだろうか。
 池袋から有楽町線で一駅、要町から歩いて10分たらずのけいこ場・みらい館大明211号室を引き払った2月4日夕、横澤の発案でスタッフ、キャストが全員、内山さんに黙祷した。最年長の先輩へ、各人の決意はさまざまだ。内山さんのために吉井勇を書いた横澤は、自分がその役を演じることになった。一場面だけだが、ドラマの大詰めを締める重要な役どころで、けいこから本番へ、横澤の胸中は複雑だったろう。
 2月8日初日で5日間、大江戸線清澄白河駅近くの深川江戸資料館小劇場は、寒波襲来にもかかわらず大いに賑わった。永代橋川岸の船着場待合室は、その奥がひなびた旅館と医院につながる舞台で、時代は昭和30年代。旅館の主人(丸山博一)とおかみ(鈴木雅)を中心に、出入りする人々の下町人情劇が展開する。深川八幡の本祭り前後、飛び込んだ家出娘(田嶋佳子)や謎の女(村田美佐子)永代橋に因縁を持つ老婆(新井みよ子)と娘二人(菅野園子、古川けい)材木屋の若旦那(大石剛)と愛人(高橋ひとみ)番頭(柳谷慶寿)などが繰り広げる悲喜こもごも。僕の役は医者で本妻(高橋志麻子)がありながら、あちこち目移りする女好きで、1幕2場2幕6場の計8場のうち、ちょろちょろ5場も出て来る忙しさだ。すったもんだの大詰めに、二人の女性(梅原妙美、松村朋子)が突然現れて、お話は意表を衝いて急展開、大騒ぎになる―。
 登場人物だけをこまごま書いたのは、この芝居の面白さを伝えたいせい。1幕2場のさりげないセリフが曲者で、これが全部伏線になっており、2幕でそれぞれの人間関係があらわになる。一例をあげれば謎の女(村田)は、実は医者の僕の愛人だが、本妻(志麻子)の顔を見ようと来てみたら、二人は中学、高校の同級生で親友だったりする。ところが舞台上では、医師と愛人がからむシーンが、一度もなかったりして...。
 この劇団の公演としては31回め、横澤の深川シリーズは今回が5作めで、亡くなった内山さんは前回公演「坂のない町」の老落語家役が最後の舞台になった。ご一緒した僕は深川あたりの気のいい世話役。作、演出の横澤によれば、出番は多いが見せ場のない辛抱役というのだそうだが、舞台内外で内山さんをあれこれ手伝った。そのせいか終演後しばらく、内山さんから葉書を貰った。
 「けいこ場から劇場、楽屋までオールひっくるめてお世話さまでございました」
 の言葉のあとに、
 「人には限界、ムリという言葉があるのを知りました。私にとりまして思い出多き公演になりました」
 と続いた述懐に、胸を衝かれたものだ。年は5才下だが長幼の序がある。それに芸歴60年になんなんとする方に、僕は入団10年に満たないぺいぺいである。何かと教えを頂いた大先輩の身辺で、多少の気配りは当たり前のことだった。
 時おり内山さんを思い出しながら、公演は終わった。このレポートが読者諸兄姉に届くのは後日になる。この後僕は、3月なかばから大阪新歌舞伎座の川中美幸公演、4月は大衆演劇の門戸竜二一座の地方公演に参加する。けっこう忙しいのです。えへへへ...。
週刊ミュージック・リポート