新歩道橋1014回

2018年4月22日更新


 千葉から名古屋へ向かう。大衆演劇界のプリンスと呼ばれる門戸竜二一座の奮闘公演に加わっての旅だ。4月15日の日曜日、午前11時と午後3時開演の2回を、千葉・神崎町の神崎ふれあいプラザでやって名古屋へ。こちらは17日に午後4時、18日に午後1時開演の2回を、名古屋北文化小劇場というスケジュール。僕が出演する芝居は「忠臣蔵外伝」で、門戸が監修する全三場―。
 第一場はおなじみの松の廊下の刀傷沙汰。浅野内匠頭を門戸、吉良上野介を新国劇から劇団若獅子で活躍中の貴田拳がやる。
 「今年は忠臣蔵をやります」
 と本田まゆみプロデューサーから連絡を受けた時は「えっ!?」とのけぞった。昨年の「一心太助」で、当たり前みたいに大久保彦左衛門役を振られた体験があり、今度もか...と早合点したせい。けいこで貴田演じる吉良を見て、その徹底した浅野いじめの憎々しさに感じ入った。僕風情にはとてもとても...の世界だ。
 そこで僕に与えられた役は人情家の武家田村建顕。二場のAで「一国一城の主浅野を、庭先で切腹とは...」と異を唱える独白、Bで切腹の場に向かう浅野に、家臣の片岡源五右衛門をひそかに引き会わせる。主従の悲痛な名残りの問答があって、三場は浅野内匠頭自害の場。桜が舞い散る下、例の辞世の一首があり、短刀が彼の腹へグサッ! のシーンでチョ~ンと柝が鳴り、幕が降りる。片岡役は田代大悟、松の廊下で「殿中でござる!」と浅野を止める梶川与惣兵衛役は上村剛史と、この若手2人はここのところ何度か、共演した友人だ。
 男優5人だけの芝居で約40分。小品と言えば小品だが、それぞれの見せ場が交錯するから、肝要なのは熱気と緊張感の維持。旅公演とは言え油断も隙もあろうはずがない。
 「楽な芝居など、決してしなさんなよ」
 と、以前ベテランの横澤祐一に言われた一言がこびりついている。この人は僕が所属する東宝現代劇75人の会のボス格で、僕のこの道の師匠。2月には彼の作・演出の「私ん家の先は永代」でしごかれたばかりだ。
 「役者が楽しんでやらなければ、お客は楽しめないよ」
 という演出家金子良次の一言も、まだ耳に残る。3月の大阪・新歌舞伎座川中美幸公演は、バラエティ色の濃いドタバタ人情劇だったが、それを下品にせず、安易に流しもしなかったのは、金子演出の穏やかだが厳しい指導があってのこと。表裏一体のこの二つの指針を、僕はかかえ込んでいる。
 たかが10年、されど10年が僕のこの世界のキャリアである。
 《そういう眼で、試されているのだ》
 と合点しながら、僕も僕自身を試す視線になる。この秋には82才という寄る年波がある。長い雑文屋生活で丸くなった猫背、いつのころからか曲がっている両足の膝、どこからどう見ても年齢歴然の姿形も、何とかしなければ...と思う日々。
 「よくまあ、あんなに沢山のせりふを覚えるものだ」
 と、友人が口々に言うのは、僕の演技力よりも記憶力を見に来ている証拠。しかし、その記憶力もいつまでもつのか、いつ衰えるのか―。
 門戸一座公演は、大衆演劇おなじみの歌と舞踊のショーが第二部になる。そこで門戸が歌う「デラシネ~根なし草」は、田久保真見作詞、田尾将実作曲で僕のプロデュース。おまけに彼は坂本冬美の「夜桜お七」や美空ひばりの「愛燦燦」「ある女の詩」を踊る。「夜桜お七」はもう昔々のことだが、はばかりながら僕がプロデュースして、当初は賛否両論ならぬ否定論ばかりだった思い出の曲。美空ひばりは晩年の15年間を密着取材、ごく親しい間柄だったから、思い出す光景もあれこれ山盛りである。
 舞台そでから踊る門戸を眺めたり、楽屋で一息入れながら、彼女らの歌を聞いたりするのが、僕の旅先での忙中閑だ。
 《成田の桜も、もうすっかり青葉だろうな》
 僕が酔余、ふと思い出すのはJR成田駅から門戸のけいこ場へ12キロ、往復20分ずつ。けいこ4日間を車で送り迎えしてくれたのは、僕らが「カントク」と呼ぶ演出家、舞台監督の本田幸生だ。この人はまゆみプロデューサーの夫君で、事務所兼自宅もけいこ場も、何から何まで自力で建ててしまい、芝居もショーも創る剛の者。彼と車中から眺めた山林の山桜は、思いがけない場所に盛んな勢いで千葉の春を彩っていた。門戸一座の特色は、それやこれやでひどく家庭的で温いのだ。
週刊ミュージック・リポート