新歩道橋1015回

2018年5月3日更新


 4月の3週め、突然海が還って来た! そう書くと大仰な表現で少々テレるが「還って来た」が実感なのだ。葉山の自宅マンションを取り囲んでいた建築用の足場と幕が撤去されて、19日は真夏を思わせる陽差しが、ベランダとリビングルームにガッと差し込む。大規模修繕とやらの、海側半分がやっと終わった。何だ、そんなことかと眉をひそめないで頂きたい。
 湘南おじさんを決め込む僕が、そんなに浮かれるのは、18日の深夜、大衆演劇の門戸竜二一座の名古屋公演から帰宅してのこと。一夜明けたら陽光と輝く海が目前だから、ワッ! という気分と、ヤレヤレ...の安堵が、ごちゃまぜになった。芝居と自然の、二つの解放感が何ともいえない―。
 今年は1月から、ずっと日ざしのないところに居た。東宝現代劇75人の会公演のけいこ。2月はその本番と3月の大阪新歌舞伎座・川中美幸公演のけいこに本番。引き続き門戸一座のけいこと地方公演が4月というスケジュール。その間に、昭和30年代の深川を舞台に、女好きの町医者をやり、次いでお気軽な演劇評論家とボケ老人をやり、ついには「忠臣蔵」の田村建顕になった。天候は不順。けいこ場も楽屋も舞台も人工照明、陽光が恋しくなるのも無理はなかったのだ。
 《それにしても、うまくはまったもんだ...》
 と、千葉と名古屋でやった門戸一座「忠臣蔵外伝」の幕切れを思い出す。
 〽かたくなまでのひとすじの道、愚か者だと笑いますか、もう少し時が、ゆるやかであったなら...
 流されたのはおなじみ堀内孝雄の「愛しき日々」だった。舞台上では乱れ髪に白装束、門戸竜二の浅野内匠頭が切腹する。裃の肩衣をはらい上げ、小袖の腹部をおしひろげて「ムッ!」と小刀を左腹に突き立てたところで、この曲のイントロが始まる。苦悶の表情の内匠頭、刀が右へジリジリと割腹するのに合わせて歌になり、その中盤、内匠頭の上体が前へ倒れ込むあたりで名残りの柝が打たれ、静かに緞帳が降りる。堀内の歌の1コーラスめの終盤が、ドラマの余韻となって、観客の胸に収まる演出だ。
 この芝居は松の廊下の刃傷から始まる。次が僕のやる田村建顕のはからいで、内匠頭と片岡源五右衛門の主従の別れ。内匠頭はすでに意を決しているから「吉良上野介の処分はどうなった?」と聞き「無念と大石内蔵助に伝えよ」と言うくらいで言葉少な。「家臣と領民に済まぬ」としぼり出すに止まる。多くは語らぬその胸中を、堀内の歌声、小椋佳の歌詞が悲痛なまでに代弁した。少女かと見まがう女装の可憐さが人気の門戸だから、彼演ずる内匠頭は清廉の気に満ちた美丈夫ぶり。それに「愛しき日々」のメロディーの甘美な哀愁もよく似合った。
 《忠臣蔵」と「白虎隊」なあ...》
 と、僕はニヤつく。「愛しき日々」は30年あまり前に、日本テレビの年末ドラマ「白虎隊」のテーマソングとして堀内が歌った。アリスが解散、ソロになった彼が試行錯誤の後に、この歌で今日までの成功の端緒をつかむ。その歌が今、門戸の「忠臣蔵」のテーマとして、生き生きと観客の胸を打つ。はやり歌の生命、作品の持つ普遍性の証しだろう。一方ではこの作品に着目し、巧みに芝居のラストソングに仕立てた門戸の知恵と才覚にも感じ入る。大衆演劇の柔軟性あなどるべからずと言えようか。
 そんなことを考えながら、4カ月におよんだ芝居暮らしから歌社会へ、およばずながら復帰する。この週末は日本作詩家協会の研修会に呼ばれている。何かしゃべれという注文で、また年寄りの知ったかぶりになるのか。そう言えば千葉でも名古屋でも「テレビ、見ました」の声がかかった。BSの昭和の歌懐古番組によく呼ばれていて、あれは再放送も多いから、かなり目につくらしい。その種企画のお呼ばれがまだ二つほど。7月には弦哲也、岡千秋、德久広司、杉本真人と一緒の「名歌復活」をまた撮る。好評続編がもう4回目だ。褌を締め直さねばなるまい。
 さて、冒頭の葉山の陽光だが、その中で愛猫の風(ふう)は惰眠をむさぼる。もう一匹のパフは、この原稿を書く僕に「遊んで! 遊んで!」とせがむ。マンション暮らしで屋外に出たことのないこいつは、何だか犬みたいになって来ている。
週刊ミュージック・リポート