新歩道橋1018回

2018年5月27日更新


 午後4時過ぎ、ふらりと新橋駅地下の店へ寄る。まず生ビールをグラスで、これはうがいみたいなもの。小皿料理を2品とり、あとは紹興酒のオンザロック。カウンターの隅に陣取って一服する。IQOSにして2年近くなるが、これでも煙草は煙草、今どき店内で吸えるところなど滅多にないから、ここがお気に入りだ。締めは冷やし担々麺と決めている。ゴマだれで、この中華飯店ではこれが絶品。5月10日のことだが、会議をひとつ、打ち合わせをひとつ、続けたあとのホッと一息だ。
 《そうか、彼らはそんな曲目を歌うってか...》
 少しほろっと来ると、いろんな歌が脳裡で鳴る。作曲家の弦哲也が「暗夜航路」岡千秋が「演歌みち」を挙げ、杉本眞人が「人間模様」徳久広司が「夜桜」をやるとか。それぞれが作曲しているから、弾き語りでの自作自演だ。弦と岡の作品は吉岡治の詞、杉本の分は阿久悠の詞で杉本のもう1曲は〝ただし書き〟つきの「カトレア」。出演交渉中の門倉有希がOKになったら、二人で歌いたいそうな。こちらはちあき哲也の詞で、吉岡、阿久にちあきと3人ともずい分前に逝って無念。徳久の「夜桜」は吉田旺の詞、この人は寡作だが、依然としてしっかりした本格派の詞を書いていて元気。何よりもそれが頼もしい。
 それやこれやは、この日ふたつめの打ち合わせで出て来た曲目。BSフジでやった「名歌復活」という番組が好評、好視聴率につき再演が続いて今度で4回めになる。6月収録、7月放送予定で、作曲家たちは気を良くしている。この番組の魅力は、作曲家たちの弾き語りで、作品に対する愛情がにじみ情が濃いめ。それを僕が世間話ふうに内輪ネタをまじえてころがすお仲間雰囲気か。流行歌は弾き語りが最高で、フルコーラスきちんとやるから、これはもうたまらない。
 まだ陽があるうちの一人酒は、なぜか人恋しくなる。少し前に「じゃあな」と別れた築波修二を呼ぼうか。この男は昔々、ミュージックラボという音楽業界誌が振り出し。そこにこのコラムの前身「歩道橋」を書いていた僕と縁が出来て弟分になった。第一プロ、巨泉事務所などを経て、今はフリーのテレビ番組プランナー。埋もれたいい歌をよく知っている大の歌好きで「名歌復活」も彼が企画立案者だ。
 手帳を忘れたので彼のケイタイが判らない。やむを得ず番組の花苑プロデューサーに店名を告げて伝言を頼む。奴は大分前に打ち合わせ場所を出たと言うから、おそらく留守電になるだろう。僕は築波の折り返しを待つ。待つ時間というのはひどく長く感じるもので、それでは...と紹興酒をもう一杯。相手は電車に乗っているはず。待っている時間の長さが、彼の帰路の長さと合致するように延びる。
 「どこまで行った?」
 やっとかかって来た電話に問いただすと、
 「明大前です」
 が返事。そうなると新橋まで戻れ! とも言いにくい。やむを得ず、二度めの「じゃあな」を告げるに止まった。
 《〝あいのこ〟なあ。まだそんな言葉が生きていたのか...》
 僕はこの日のひとつめの会議を思い起こすことになる。レコード協会の通称「レコ倫」の委員を長くやらせて貰っていてのひとこま。歌詞に出て来たこの単語はどう考えても要注意だろう。混血児に対する蔑称。この会議が特に問題視する「麻薬」と「差別」の一つにあてはまる。そんなことを話し合っているうちに、混血の当人が「ハーフ」は嫌だが「ミックス」ならばいいと言っている例が出て来た。僕は正直ドキッとする。ミックスなど、人によってどう感じるか判るまい。少なくとも僕は相当に危険な表現と思うが、さて、若い人たちの言語感覚はどうなっているのか。卑近な例には「やばい」がある。僕ら世代はこれを「いけない」の意で使って来た。ところが近ごろは「いいじゃん!」くらいの意に逆転している。日本の言葉は一体どう変化し続けるのか?
 《やばいよな、これは...》
 やがて店外では家路を急ぐ人のラッシュアワーが始まっている。それを横目に僕はこの日6時からの三つめの仕事を断念する。相手はそう急ぐ話でもないけど...と言っていた。会えばまた酒になる。それなら今夜は勘弁して貰おうか。何だか怠惰の虫が動いてどろ~ん。「さて!」と自分を立て直す気にならない。これは言うところの五月病か? ま、80才を過ぎて昼から夜へ、たて続けに仕事三つは重いということさ...と自分に弁解、ほろ酔いのまま〝まっとうな〟サラリーマンみたいに、ラッシュアワーの混雑に身を任せることにした。
週刊ミュージック・リポート