新歩道橋1020回

2018年6月23日更新


 「枚方」と書いて「ひらかた」と読む。「枚」がなぜ「ひら」なのか、見当もつかぬままの丸暗記で、6月5日、そこへ向かった。偶然というのは恐ろしいもので、早朝の新幹線、車内の電光ニュースにその件が出て来た。市がアンケートを取ったが、その結果を、
 「難読を逆手に取り、前代未聞、捨て身でいく」
 と、市当局が居直ったと報じる。
 大阪のベッドタウンでもあるらしいその枚方に住み、作詞家のもず唱平は40年になる。
 「ま、終(つい)の栖(すみか)ですな」
 と本人が言う町の市民会館で、この日、彼の作詞生活50周年記念コンサートが開かれた。昨年9月の彦根を皮切りに、神戸、京都、奈良と続いたシリーズの最終回。親交が長い当方としては、何はともあれ、祝いの主の顔を見に行くのだ。
 昼夜2回公演、キャパ1500のホールがぎっしり満員になる。出演は川中美幸、鳥羽一郎、鏡五郎、松前ひろ子、長保有紀、三門忠司、成世昌平に新人の塩野華織、高橋樺子とゆかりの9人で、司会は水谷ひろし。コンサート5回皆勤は川中で、ほかに記念のディナーショーが2回あり、水谷は合計7回、もず唱平の世界の道案内をした勘定になる。
 《記念行事はよくあるが、シリーズ化は珍しい》
 と、僕は初回の彦根、大阪でのディナーショーに今回と、3回もつき合ったから、さすがのもずも恐縮の面持ちを作る。
 「どうもどうも、ご苦労さんです」
 と笑顔の歌手たちはみんな親しい顔ぶれ。彼や彼女らの歌をのんびり聞いて、お楽しみは全員と関係者の、打ち上げの酒盛りなのだから、ま、当方さして苦にもならない。
 映像参加も含めて、もず作品は「釜ヶ崎人情」「花街の母」「虫けらのうた」「浪花人情ラムネの玉やんの唄」などが並ぶ。底辺に生きる人々の哀歓を歌う作品が特色で、主人公は立ちんぼの労働者、子持ちの芸者、極道と酒びたりの夫婦の息子が、おいてけぼりを食ってグレてのお話など。もず本人が昔、
 「未組織労働者の歌ばっかりですねん」
 と、苦笑したが、僕はおよそ歌にはなりにくいそんな世界を、情の濃い視線で見守る彼を大いに支持する。その流れは長保の近作「人生(ブルース)」に続いていて、作曲した弦哲也が「あの詞には刺激を受けた」と話していた。
 中学生のころ、もずにスカウトされ、やがて春日はるみの芸名でデビューした川中の「新宿天使」の再現が拾いもの。藤田まことが創唱した「...ラムネの玉やん」は、大阪の香具師(やし)の露店の口上がユーモラスで、これも川中が立て板に水。成世がブレークしたのは「はぐれコキリコ」三門の出世曲が「雨の大阪」で、鳥羽の「泉州春木港」川中の「宵待しぐれ」も味わい深い。鏡が歌った「花火師かたぎ」は、もずと船村徹の実話もので、実は彼の芸名は船村が名づけ親。この曲は何10年ぶりかで船村の指名...と来て、鏡が大喜びしたエピソードもある。
 《歌はやっぱりフルコーラスでなきゃ...》
 客席で僕はそう再確認する。作詞家の記念イベントのせいか、ここに挙げた代表作は全曲フル。もずの作品の多くは特異なストーリー性を持つから、1曲ずつの酔い心地や感慨も、聴く側にたっぷりめになる。いつのころからかテレビの歌番組は全部2コーラス。放送時間内になるべく大勢の歌手を登場させ、視聴率アップを狙う結果だろうが、それがはやり歌全体を未完成で薄めのものにして久しい。歌手たちは放送なしのコンサートでもテレビサイズで歌うことが当たり前になり、作家も制作者も全く疑義を唱えぬ風潮はいかがなものか。
 大阪についての僕の土地カンは、梅田に難波、新歌舞伎座周辺の上六とごく限られた点のままだが、今回の枚方行きで多少は線につながった。新大阪駅から車で小1時間、近畿道や第一国道の標識を追って、高槻には東映剣会の西山清孝や歌手日高まさとの母親、守口には老優細川智が住み、門真には村田英雄の密葬に出かけたなどという具合だ。門真を「モンマ」と発音したら、もずが怪訝な顔になり「ほら、松下の工場があるとこ」と言い足したら「カドマやろ」と言い返された。
 枚方は大阪から京都へ向かう途中にある市と説明してくれたのは、もずイベントの興行主「デカナル」の人々。うん、テカクナル意の社名か、いいじゃないか! と、それも愉快だった。
週刊ミュージック・リポート