新歩道橋1022回

2018年7月8日更新


 江東区森下に「SUN」という軽食と喫茶の店がある。ぶらっと入ったら作詞家たかたかしの色紙が目を引く。それも落款つきだから、店へ来た時に書いたものではなさそう。
 「どういう関係なのよ」
 と聞いたら、ママの口からいろんな名前が出て来た。作曲家市川昭介だの、作詞の川内康範だの。この人マッサージの名手だったらしい。
 「へえ、みんなあんたの顧客だったんだ」
 「お客さんもそういう関係の方ですか...」
 なんて問答になって、それ以来、僕は毎日その店へ立ち寄ることになった。
 都営新宿線森下駅から大島方向へ、信号をひとつ越えたあたりの右側にその店はあって、明治座のけいこ場のちょっと手前。僕は川中美幸7月公演のけいこでそこへ通っていて、顔寄せの6月19日から7月2日にけいこが明治座へ移るまで、休日2日を除いて11日間通った。ママはたかのマネジャー小林隆彦と連絡したらしく、僕の呼び方もあっさり「頭領」になる。
 《縁は異なものだが...》
 常連気取りが大好きな僕は、鯖の塩焼き定食など、遅めの朝食を摂る日も。やたらに気のいいママは、野菜サラダだの目玉焼きだのちくわの煮物だのをオマケの大サービスだ。
 明治座の川中公演、芝居が「深川浪花物語」で、作詞家もず唱平の50周年記念曲として、彼女が歌った近作の同名のドラマ化。作・演の池田政之が、面白おかしい下町人情劇に仕立てて、時おりほろっとさせながら、随所に笑いが仕込まれている。サブタイトルの「浪花女の江戸前奮闘記」ですぐ判ろうが、大奮闘なのが川中で、共演は田村亮、曽我廼家寛太郎、おりも政夫、冨田恵子、遠藤真理子、山本まなぶという面々。
 ありがたいことに川中一座唯一のレギュラーになった僕は芸歴12年めになる。今回は昭和37年の深川を舞台に、没落した料亭の再建を目指す川中と、土地売買でからむ大手商社の会長役をやる。一見好々爺ふうがしぶとい裏の顔も持つ役柄で、川中をおだてたり脅したり。第二幕の後半に出て来て、川中の奮闘記を締めくくる大役だから、振付と所作指導のベテラン若柳禄寿が、
 「凄くいい役で、こんなの滅多にありませんよ」
 と、僕を〝その気〟にさせてくれる。この人には12年前のこの劇場での初舞台で、床几に座る姿勢や歩き方などを手ほどきして貰った恩義がある。そんな僕の奮闘記!? をニコニコ見ている瀬田よしひと、上村剛史、倉田みゆき、穐吉次代、小早川真由らはこれまで川中公演で一緒になったお仲間。安奈ゆかりは何と僕が〝地方区の巨匠〟と呼びならわす親友で浜松在住の作曲家兼歌手佐伯一郎の娘だったりする。
 ところで川中が「恩師」と呼ぶもず唱平は大阪・枚方市が自宅。6月18日の大阪北部地震6弱の震源地だ。あの日昼前に安否確認と慰問の電話を入れたら、
 「ま、みんな無事ですが、家の中はぐちゃぐちゃですわ」
 と、浮かぬ声の返答があった。近所の事務所内部もぐちゃぐちゃらしいが、秘書の保田ゆうこともずの弟子の歌手高橋樺子の話だと、前日にカラスの大群が大騒ぎ。
 「地震でも来なきゃいいけど...」
 とヒソヒソ話をした一幕があったとか。天変地異には何かしら、そんな兆しがあるものなのか。
 《公演期間中に、もずは明治座へ来るだろうが、くすぐったい思いをするかも知れないな》
 僕はけいこ場でニヤニヤする。芝居の大詰め、新聞記者役の田村が作詞に手を染め、川中にその第1作をプレゼントするのだが、それが「深川浪花物語」という設定なのだ。自作のドラマ化も乙な気分だろうが、作中の人物がもずの仕事をするかっこうになるのは初体験だろう。
 「そうですね、先生がどういう顔をするか...」 川中のマネジャーで、芝居づくりにもかかわっている岩佐進悟も、同じことを考えたようだ。
 川中の明治座公演は、松平健との共演作以来4年ぶり。7月5日初日、22日千秋楽で、休演日1日をはさんだ17日間の公演回数は28だが、何とそのうち21回が貸切りという驚異的な内訳。チケットが一般発売されるのはわずかに7公演だけで、
 「俺たちはいつ見に行きゃいいのよ」
 と、歌社会のお仲間は、その7回分と自分のスケジュールをにらめっこしている。
週刊ミュージック・リポート