月に一度がもう何年も続いているから、僕が今、一番頻繁に会っている歌手はチェウニである。USENの昭和チャンネルで、月曜日に終日放送中の「歌謡曲だよ人生は」のレギュラー同士。一回一人をゲストに、作家なら作品、歌手なら旧作から新作まで30曲前後を聞きながらの四方山話を5時間近く。一応台本はあるのだが、僕が気分本位、居酒屋ムードの対談!? をやり、チェウニはそのアシスタントだ。話の中で四文字熟語が出てくると、彼女の眼が点になるから説明、ちょっとした日本語教室になったりする。
12月放送分を録音したのが10月15日、ゲストが松前ひろ子で、夫君の作曲家中村典正との関係が「夫唱婦髄」か「婦唱夫随」かになったから厄介。字面を見せれば判り易いだろうが、ものが有線だから説明がむずかしい。松前をおっぽり出したまま、
「ダンナを指す〝夫〟という字があるだろ」
「うん」
「ご婦人なんかで使う〝婦〟という字がカミサンの意味もあってさ」
「ワカンナイヨ」
「判んなくてもいいよ。そのダンナの〝夫〟とカミサンの〝婦〟を入れ替えるとすればさ...」
「ダメ、全然ワカンナイ」
なんてやり取りになる。
委細かまわず話をすすめて、
「ところで、お前のところはどうだ?」
とチェウニに聞いたら、松前がびっくりして、
「結婚したの? 知らなかった...」
と話の雲行きが変わってしまった。
チェウニは実は、3年ほど前にNHK関係の紳士と結婚したのだが、別段内緒にしている訳ではなく、芸能人らしい発表をしていないだけ。情報的には〝なしくずし〟の新婚さんなのだ。
「そうなの。実はうちもね...」
と、松前が三山ひろしの結婚に触れたから、今度はこっちがびっくりした。歌手生活10周年、人気うなぎのぼりの彼が〝よもや〟の妻帯者と言う。奥さんが松前・中村夫妻の次女で、三山はきちんと交際のあいさつをし、3年ほどの期間を持って結婚したそうな。と言うことは歌手活動5年めくらいのおめでたで、彼がブレークした直後あたりという勘定。
諸般の情勢をかんがみて内々のことにしたらしいのだが、
「二人でハワイでも行って式をあげたら?」
と松前が言ったら、
「いえ、僕らはこのままでいいです」
と答えたと、松前がしんみり〝義母〟の顔と口調になった。番組の録音中の発言だから、こちらも内緒にしている訳ではなく、特に公表をしていないだけらしい。この情報、知る人は知る伝わり方で、僕は単に初耳だっただけなのだろう。
《そう言えば...》
と、思い当たる節はある。6月に明治座で観た彼のコンサートは、トークに情が濃くなり、アイドル風を脱皮する気配があったこと。7月の新歌舞伎座公演の作、演出者池田政之から、
「彼、芝居がうまくなったよ。ごく自然で...」
と聞いたことなど。三山は上げ潮の中で公私ともに充実、しっかり地に足つけた境地に達しているということか。
一方のチェウニも、彼女らしい安定ぶりを示す。9月28日にやったのが20周年コンサート。ブレークした「トーキョー・トワイライト」から、もうそんなに年月が経つのかと身内気分で観に行った。少女時代に一度来日してレコード化した「どうしたらいいの」の哀切感に、一目惚れならぬ一聴惚れして以来だから、僕のチェウニ歴は相当に長い。
《韓国流の歌唱を油絵に例え、日本歌手の表現を水彩画とすれば、さしずめチェウニの世界はパステル系か...》
などと一人合点した夜。終演後に元NHKのプロデューサー益弘泰男氏と一ぱいやった。僕がスポーツニッポン新聞社を卒業したら即、NHKBSの「歌謡最前線」2年分の司会の仕事をくれた恩人。USENの仕事もこの人のプロデュースで、相手役にチェウニを起用、僕らのトンチンカン問答を面白がっているのもこの人だ。スポニチ在籍中からしばしば声をかけて貰っていたから、僕は「益弘プロ所属」を自称している。
この夜、僕の胸を撃ったのは、チェウニの
「死ぬまで日本にいるからね」
の一言。決して結婚したためばかりではなく、彼女は歌い手として、日本に骨を埋める覚悟を決めているのだ。