新歩道橋1035回

2018年11月19日更新


 いつもまず〝最悪の事態〟を想定する。次に、そうならないための対策を幾つか。それを使って臨機応変、難儀をクリアすれば、まずほどほどに事は収まる。そんな習癖を僕は、スポーツニッポン新聞社で身につけた。整理部というセクションで1ページを任され、編集し紙面を制作する作業。集まる原稿の到着時間は、大てい希望的観測が基本だ。取材先の事情に左右されるし、記者には速筆遅筆の個人差がある。そんな実情はお構いなしに、締切り時間はケツカッチン、分単位のゆとりもない。
 ページに入れる原稿が1、2本遅れたら、即、紙面に穴があく。最悪の事態だ。そこで悪知恵が生きる。短い穴うめ用の記事をひそかに隠し持っていること。それがなければ、ありあわせの広告をぶち込む。大きいのから小さいのまで幾つか。使用済みの広告だから、金にはならないが文句も来ない。その手の物件を僕らは「アカ」と呼んだ。
 締め切り時間ごとに、そんなヒリヒリする作業を繰り返すが、最終版が終了すればあとは野となれ山となれ。ものが新聞だから文字通りの〝その日ぐらし〟で、明日は明日の風が吹くのだ。しかし、雑文屋稼業はそうは行かない。レギュラーの原稿は何を書くかで頭の中が終始チリチリする。対談をやればその整理があるし、飛び込みの仕事だと資料をあさる時間が要る。持ちかけられた相談事には、何人かの知恵を拝借しなければならないし、イベントづくりに参加すれば人脈の動員が必要になる。歌のプロデュースも3件ほど、役者兼業だから打ち合わせの間に科白を覚える。それぞれに最悪の事態を考え、いくつかの対策をひねり出すのだが、急を要する件と多少の待ち時間に恵まれるケースが交錯する。物事の順番が怪しくなり、頭がパンクしそうになる。
 《ダメだ。何日か逃げよう。そうしなければ、あれもこれも事が将棋倒しになる!》
 80才を過ぎてまだ仕事に恵まれる幸せをそっちのけで、何たる不心得! たまたま〝つれあい〟が4、5日休暇を取れることになった。短時間だからヨーロッパやハワイは無理。よォし、それならシンガポールか! あの屋上に舟が乗ってるようなホテルを取れ。遊覧船でレーザーショーを見る? ナイトサファリは月明りくらいの照明の中で、放し飼いの猛獣と対面するのか? プラナカン博物館? 何だそれは...。カニチリがうまそうだな。外国へ行ったら土地の料理を食するに限るぞ!
 そんな御託を並べながら5日ほど、シンガポールのおのぼりさんになった。つれ合いは現地でもノートパソコンで情報と首っぴき。疲れるだろうなそれも...と一切任せっ放しで、こちらは頭の中をカラッポにすることに集中する。昼間からカクテルを飲み、煙草にうるさい国と聞いたが、喫煙個所がやたらにあることに悦に入る。ただし、加熱煙草はご法度だから、久々に紙巻きである。
 ココロのセンタクが出来た気分で帰宅すると、愛猫の風(ふう)とパフは人見知り。留守電とFAXがたまっていた。さっそくそれに対応しながら、7日は大田区民ホール・アプリコの原田悠里コンサート2018を見に行く。昨年体調不良でドタキャンしたのを本人が覚えていて、
 「今年は大丈夫よね」
 と念を押されていた。「津軽の花」や「無情の波止場」がよくて新曲「恋女房」は師匠北島三郎作曲の夫婦もの。本人未体験の世界だが
 「ファンが、悠里ちゃんは俺たちの恋女房だからいいよ! なんて言ってくれるのよ」
 と、本人が悦に入る。。終演後、そのファンの群れにまじり、JR蒲田駅まで戻って急に回れ右、飲み屋横丁の〝筑前屋〟に飛び込む。生ビールに焼酎の水割りは5分5分の濃いめ。みそだれのモツ焼き1皿とびっくりするくらい大きなマグロのぶつ切り、とんぺい焼きで1時間弱。店捜しでは鼻が利く方だから、案の定うまかった。
 誘える顔は幾つかあったのに、1人で飲んだのは蒲田という土地に屈託があってのこと。その一つがスポニチ時代、人事の行き違いに怒って社を辞めさせちまった同僚の件。蒲田の彼のマンションに手紙を差し込み、慰留しようと近所の飲み屋で幾晩か張り込んだが会えぬままになった。生涯に負い目をかかえる唯一のケースだ。
 もう一つはわが家の菩提寺が、この町にある件。このところお仲間の通夜葬儀、法要などをせっせと手伝うばかりで、すっかりご無沙汰だから、そっちの方角に手を合わせてみたりした。この2件、新旧の〝最悪の事態〟で打つ手もない。
週刊ミュージック・リポート