老練のシャンソン歌手出口美保は、粘りに粘った。以前にもこの欄で触れた大阪の作詞グループ「詞屋(うたや)」の歌づくり。メンバー各人の歌詞がほどほどに仕上がり、私家版のアルバム2作めにしようと企んでのことだ。作家・エッセイストの杉本浩平の詞「詩人の肖像」に、僕の友人の作曲家山田ゆうすけが曲をつけた。出口には前回同様サンプル歌唱を頼んだのだが、詞に注文がつき、曲に一部変更の相談が来る。
《こうなりゃ、とことんやるか!》
プロデューサー格の僕もハラを決めた。詞はそれまでに何度か手直し、タイトルもシャンソン風に変えていた。出口はその作品を「自分のレパートリー」にすると意気込む。それならば「試作品」を越える完成度を目指さなければなるまい。
出口は関西のレジェンドである。シャンソニエを持ち、そこを中心に歌いながら、年に一度はフェスティバル・ホールでリサイタルをやる。いくつかの教養講座で教え、相当数の教え子たちもいる。それだけに彼女なりの世界をはっきり持っており、それにふさわしい言葉やそうではない言葉にも敏感だ。だから、
「この部分はどうも...」
「このメロディーはもう少しこうならない?」
と、相談は細部にわたった。
その都度僕は杉本と話し合ってまた詞に手を加え、山田に注文して曲の手直しをする。
「すみませんねえ」
と詫びる彼女。
「いやいや、気持ちは判りますよ」
と応じる僕。これまで僕は歌謡曲のプロデュースをいくつかやり、歌手たちの代表曲にした経験がある。相手がスター歌手でもこうと決めたら一直線。反対も押し切る我の通し方だった。それがこんなに手間暇をかけたのは初めてだ。
出口の歌を聞いたのは、ずいぶん昔のNHKホールの「パリ祭」で、ズンと来る低中音の魅力と存在感をカラオケ雑誌の記事にまぎれ込ませた。ほんの数行なのに、それを読んだ彼女から連絡があり、東京でのコンサートも何度か見た。それを縁に詞屋の仕事につき合ってもらうことになる。
詞屋のアルバムは文字通りの手づくりで、メンバーの研鑚の記念品であり、欲を言えば作品のプロモーションが狙い。府長と市長が入れ替わり、大阪維新の会がダブル選挙圧勝、ぶち上げる都構想...などとは全く関係ないが、
「歌のコンテンツづくりが東京一極なのはいかがなものか、この際われわれが関西から発信したい」
とする会の意気に感じて手伝って来た。4年前のアルバム第1作は思い思いの作品でコンセプト薄め。今回は「大阪亜熱帯」「ちゃうちゃう大阪」「ふたりの天神祭り」「ワルツのような大阪で」など、いかにも〝らしい〟作品が集まっている。歌詞に本音を書き込むのはむずかしいが、リーダーで演出家の大森青児の「おやじの歌」は、101才で亡くなった父君への思いが切々である。
5月1日発売を目途にした作業。
「それにしてもお二人、粘りますなあ」
と会の面々に呆れられながら、締切りをかなり遅れ、見切り発車されそうな中で「詩人の肖像」は出来上がった、ピアノ一本をバックに、出口美保渾身の歌唱である。彼女も僕も、とうに80才を越えている〝老いの一徹〟だが、彼女はまだ、
「いまひとつ歯がゆい」
と、歌唱への未練を口にしている。
詞屋のメンバーは、大森、杉本のほかに槙映二、丘辺渉、井美香、近藤英子ほかだが、正体は大学の先生、作家、進学塾のやり手など、異業種ではひとかどの面々。そこが面白そうだと、僕は時おり大阪の合評会に参加、年寄りの知ったかぶりでお尻を叩いて来た。会の弱点は作詞家ばかりで、作曲、編曲、歌もやる松原徹と曲の上原昇以外は作曲、編曲、歌手の仲間が手薄なこと。いずれ関西の有志を糾合...とその気になっているから会は第2期に入りそうな気配だ。
「だから、歌い手がいまへんねん」
「これはお似合いの作品と思うんやけど...」
などと、冗談めかした視線に射すくめられて、酔狂な僕は杉本のもう一つの「古き町にて」を歌うことになった。作曲は大病の療養中だった有名アレンジャー前田俊明に依頼、女に振られたまま京都あたりで独居する熟年男の悔恨をしみじみ...という段取り。歌唱ばかりは口ほどにもないと、失笑を買うことは覚悟の上である。
