新歩道橋1061回

2019年9月5日更新


 影を踏みながら歩いている。谷端川南緑道をトボトボ。連日35度の酷暑を午後1時半過ぎから15分ほど。地下鉄有楽町線の要町駅から行く先は廃校になった大明小学校跡の一部のけいこ場。9月4日初日の東宝現代劇75人の会公演「離ればなれに深川」(横澤祐一脚本・演出)のけいこだ。2時ちょっと前には現場へ着きたい。それにしても、全身から吹き出す汗はどうしたもんだ。
 辿るのは遊歩道である。もともと川だったのを、埋め立てたのだろう。植え込みの緑が続き、ところどころに子供用のブランコ他の遊具がある。池袋界隈とも思えぬほど自然がたっぷり。さるすべりの花はもう終わった。無花果の実がふくらみ始めている。それやこれやを視線の隅に入れて移動する。5月ごろに歩いたら、すこぶる気分がよさそうな場所である。しかし今は8月初旬、カンカン照りが恨めしい。おまけに去年まであった喫煙スペースだってなくなっちまっているでないか!
 「影を踏みながら...」と書いた。自分で作る影である。遊歩道だから緑はいっぱいあるが、背の高い樹木がないから日陰はない。やむを得ず日傘をさしているのだ。家人に買い与えられた代物。テレビが連日、
 「お年寄りが熱中症で搬送され、亡くなった方も...」
 と報じるのを見てのことらしい。そう言われれば僕も、十二分に該当する年齢である。家人の懸念も無理はないか。
 「男が日傘? 冗談言うな!」
 と、当初は抵抗した。はばかりながら昭和の男である。敗戦後の食料難にもツバを飲み込みながら耐えた。高校を出て上京、新聞社のボーヤに拾われたが、安月給の空腹にも耐えた。腹の皮が背骨にくっつきそうになり、JR王子駅から飛鳥山の坂が上がれなかったのも、今は笑い話だ。振り返ればこの年まで、耐えてしのいだ山ばっかりだった。歯をくいしばって耐える。明日を信じて踏んばる暑さになんか負けるか。それが男ってもんだろう...と、やたら演歌チックになる僕を、ニヤリと見返して家人が言ったものだ。
 「男の日傘って、今やトレンドよ!」
 ま、それはそれとして、けいこ場へ入ればこっちのもんである。時代は昭和30年代後半、舞台は深川のボロアパート。そこで暮らす人々の人情劇だが、僕の役はそのアパートの大家で建築会社の主、住人からは〝親分〟と呼ばれるやくざだ。それも能テンキなお調子者で、することなすことヘマばかりである。住人の一人で、もとはお家柄のご婦人(高橋志麻子)に懸想してのあれこれ。実の兄貴でアパートの管理人(丸山博一)から、その都度、
 「馬鹿だねえ、まったく...」
 とサジを投げられている。
 セットがボロアパート一景だけの2幕9場。自然せりふ劇の色彩が濃く、そのうち5場と出番が多い僕にも、覚えるのが難儀なくらいのせりふがある。放っておけばそれを、突っ立ってしゃべってばかりになりそうなのへ、演出の横澤祐一が動きを加える。
 「あ、そこは入り口をガラッとあけて、一歩中へ。あれ? 何よ、ちょうど良かった...なんて言いながら中央へ...ね!」
 「そこね、つけ回しにしようか、貴子が嫌みな笑いを見せてカウンターの奥へ入るでしょ。それを見送りながらグルッと回り込む。立ち止まって老人を睨みつけて咳払い、管理人に眼をやると、また馬鹿だねえ...が来るでしょ。そこで正面切ってガクッとなって溶暗。そうだな、咳払いは2回やるか」
 貴子は僕が懸想するご婦人。ライバルみたいな謎の老人をやるのは横澤。二人のからみ方に僕がイラ立つシーンだが、横澤は老人から演出家に早替わりしての演技指導である。その方が手っとり早いとばかり、貴子の動きも僕の動きもさっさとやって見せる。お手並み鮮やかだから僕は吹き出し、出を待つ鈴木雅、古川けい、下山田ひろの、高橋ひとみら女優陣は大笑い。一人ひどく真面目に、台本にあれこれ書き込むのは演出助手の柳谷慶寿という具合い。
 行きは地獄、現場はよいよい...の日々。日傘の道々で僕を慰めるのは、小路の両側の民家からひょいと顔を出す猫の一、二匹である。立ち止まって愛想を言う僕を、怪訝な顔で見守るそいつらは、別に逃げるでもなく、なつくでもない。この欄で以前に触れたが、僕は秋元順子の新アルバム「令和元年の猫たち」をプロデュースしたばかり。寺山修司、阿久悠、なかにし礼、中島みゆき、山崎ハコらが書いた〝埋もれた猫ソング〟の傑作を集めたのを思い返す。それだけに道ばたの猫もお仲間気分。しばし灼熱も遠のいたりして、やれやれ...なのである。
週刊ミュージック・リポート