新歩道橋1063回

2019年9月8日更新


 川西康介、60代、江東区深川在住のやくざ。先々代の跡目を継いで、こぶりの建築会社を経営。隅田川畔にボロ・アパートを持つ大家だが、老朽化の激しさに苦慮する。何しろ太平洋戦争末期の東京大空襲から、辛うじて焼け残った代物である―と、僕は珍しく今回与えられた役柄とその周辺を書く。9月4日初日の東宝現代劇75人の会公演「離ればなれに深川」(作、演出横澤祐一)の件で、上演するのはおなじみ大江戸線と半蔵門線の清澄白河駅そば、深川江戸資料館小劇場だ。
 舞台になるのは問題のボロ・アパートに急造された喫茶店。康介の兄弥太郎(丸山博一)は管理人。三井留子(鈴木雅)と星会直子(梅原妙美)は一人暮らし、俳人の原田修(大石剛)と深川芸者鶴吉(高橋ひとみ)は夫婦、吉永貴子(高橋志麻子)と待子(下山田ひろの)は母娘で、折りに触れて弥太郎の娘八洲子(古川けい)や留子の息子章太郎(柳谷慶寿)が現れる。劇の冒頭に登場する竹原朋乃(松村朋子)と、時々ふらりと姿を見せる老人(横澤)が、この脚本家お得意の謎多い人物で、出演者はこれで全部。時代は敗戦から10数年後の昭和30年代後半、出て来る善男善女はみな、何かしらの事情を抱えている―。
 ま、こういう方々とそれぞれの役柄を相手に、酷暑の8月、せっせと池袋・要町のけいこ場へ通った。この劇団、もともと劇作家菊田一夫の肝いりで作られた由緒正しいところで、その薫陶よろしきを得た面々はみなベテランの芸達者。そこに加入を許されて10年そこそこの僕は、年齢こそひけを取らないが、いつまでたっても一番の新参者だ。
 けいこ後の反省会なる酒盛りでは、飲んべえキャリアなら相当に自信の僕も、水を得た魚になるが、けいこはやはりかなりの緊張感を強いられる。舞台装置が一つだけの二幕九場。自然おびただしいせりふが飛び交うことになるが、みなさん平然と役柄をこなす。月はじめの顔寄せ、台本の読み合わせで、もうせりふが入っている人に度肝を抜かれたり、着々と役に入っていく共演者を横目に、こちらはあたふたの連続だ。
 《ン? どうしたんだ一体?》
 と、自分にいらだつのはなかなか役が、自分のものにならないせい。師匠の横澤の教えを受けて、そこそこ型になったこれまでにくらべて、どうしたことか今回は思うに任せない。
 「加齢による症状でしょう。抜本的な対策はありませんな。ま、あまりストレスを貯めないように...」
 と、行く先々の医師が口を揃えるのを思い出す。年のせいにしたくはないが、物忘れはどんどん進行するのに、物覚えの方はまるで劣化している。
 毎回見に来てくれる友人たちが、
 「よくまあ、あれだけのせりふを覚えるよ」
 と、妙なほめ方をしてくれるのへ、
 「諸君は、俺の記憶力を見に来てるのか? 演技力についてのコメントはねえのか!」
 と言い返して来たが、今回はそう言い切れるかどうか。葉山からバス、逗子から湘南新宿ラインで池袋へ。家からけいこ場までドア・トゥー・ドアで2時間半ほど。車内で台本を広げるのは面映ゆいから、自分のせりふを書きだした紙片相手にボソボソを続ける。そのうち車内では完ぺきの境に達するのだが、けいこ場で大声を出すと、とたんに頭がまっ白...という体たらくだ。
 ホッと一息ついたのは8月の下旬、さすがの炎暑もひと段落という束の間の数日に、記憶力が少々戻って来た。九州北部は記録的大雨で大変な水害被害。知人に「大丈夫か?」の電話を入れるほどなのに、不謹慎のそしり免れぬのは承知で、気楽にけいこのラストスパートである。有楽町線要町駅から、谷端川南緑道をトボトボ10数分。日傘デビューを果たした日々を思い返す。ふと気づけば、終わったと勘違いしたさるすべりの花が一挙満開、カンナの花の赤や黄が背のびをはじめ、ずっとしおれたままだったおしろい花まで、息を吹き返しているではないか。
 とまあ、それやこれやでけいこも何とか軌道に乗りかかった。僕の川西康介はやくざだが、気のいいお調子者。吉永母娘の双方に、ちょいとその気になったりするのだが、そんなにうまく行くはずもない。言ってみれば深川の寅さんみたいで、出番は全九場のうち五場。9月1日にけいこ場を閉めて深川へ入り、4日の初日に向けて、やっとこさ雄躍邁進! である。
週刊ミュージック・リポート