新歩道橋1066回

2019年10月12日更新


 また家出をした。9月の門前仲町に続いて、今度は国道246に面した大橋のオリンピック・イン渋谷というホテル。10月2日に入って6日まで、ここから中目黒のキンケロ・シアターに通う。ここ5年ほど、レギュラーで出して貰っている路地裏ナキムシ楽団公演。このグループが今回はめでたく10回記念、これを「第10泣き」と表記する。
 『涙の雨が降るぞオ』
 がキャッチフレーズだ。
 今作のタイトルは「屋上(やね)の上の奇跡」で、前作までとは打って変わったスペースファンタジー仕立て。タイムマシーンが過去と現在と未来を行き来する。とは言え不治の難病に冒された少年(中島由貴)と自称大発明家の青年(長谷川敦央)の交友が軸。例によって座長たむらかかしが中心のナキムシ楽団の音楽、歌と、役者の芝居が交錯する新機軸ドラマだ。
 舞台は空と海に囲まれた病院の屋上。妙に強気な看護師長(小沢あきこ)にお尻を叩かれながら、自殺未遂の女(中島貴月)と入院患者の一人(橋本コーヘイ)の恋。ロックミュージシャン(千年弘高)と耳が聴こえない娘(三浦エリ)の淡い恋心。生さぬ仲の母(龝吉次代)と息子(小林司)の反発と和解などの悲喜こもごもが展開する。10作連続出演の小島督弘は、発明家の珍品の被害者。常連のIrohaは小道具揃えもてきぱき、病院長の僕にケイタイを持たせたりする。
 バンド、役者も含めて若者揃い。その平均年齢を上げる僕の相棒は真砂京之介で死期が近い漁師という設定。真砂は松平健・川中美幸コンビの大劇場公演で、いつも一緒の10年来の友人。しかし別々のシーンばかりに出ていたのが、今回初めて面と向かっての芝居で、最初テレ気味がそのうち本気...と盛り上がった。二人は幼な友たちでいつもケンカ腰のやり取りだから、真砂の孫娘(鈴木茜)が気をもんだりする。友人の押田健史は発明家の弟だったり、未来からの使者だったりのお忙し。突拍子もない出番で笑いを取るもう一人の友人小森薫ともども新婚ほやほやで、二人の結婚披露宴は僕が主賓だった仲だ。
 こう書いてくれば、ドラマの面白さや、和気あいあいの雰囲気が伝わるだろう。と、まあ、僕が役者だからお仲間の列挙がどうしても先になる。それにムッとしそうなのがミュージシャンたちで、何しろこの集団は〝楽団〟で〝劇団〟ではない。彼らがドラマを〝語り〟役者がドラマを〝歌う〟魅力を「青春ドラマチックフォーク」と標榜する。作詞、作曲、歌唱に演奏を担当するのがリーダーのたむらと暮らしべ四畳半、ハマモトええじゃろの3人。サポートするミュージシャンがカト・ベック、アンドレ・マサシ、遠藤若大将、久保田みるくてぃと妙なステージネームの腕利きだ。
 ミュージシャンたちは舞台中央後ろめに板つき。その前で役者が芝居をする。それぞれの仕事が混然一体、ドラマの起伏とボルテージを大きめに揺すり観客を巻き込んでいく。得も言われぬ感興が生まれるから、この楽団の公演は演る方も観る方も「クセになる」のが特色。青春の感慨が具体的でたっぷりめのオリジナル曲の情趣に、初参加の真砂はうっとりしっぱなしで、
 「俺も歌いたくなっちまうよ」
 作、演出のたむらの才腕にも脱帽する。
 よくしたもので、真砂と僕が歌う場面もちょこっとある。屋上のベンチで茶わん酒をくみ交わし、往時を思い返しながら舟唄をひと節。アカペラで歌声が揃わないのもご愛敬という趣向だ。歌となれば本職の演歌の歌い手小沢あきこは新曲が出たばかり。それも亡くなった先輩島倉千代子の「鳳仙花」をカバー。本家のキイをそのままの熱唱で、けいこの間もキャンペーンやライブなどに出かけて精を出している。
 今回の公演は10月4日から6日までの3日間6ステージ。僕は9月初旬の東宝現代劇75人の会に出演したから、こちらのけいこには遅れて参加した。清澄白河の深川江戸資料館でやった「離ればなれに深川」のお調子者やくざ川西康介から、病院院長野茂への切り替えにひと苦労。体にしみ込ませた前作のせりふがなかなか居なくならず、新しいせりふが入る隙間が生まれないのに驚いたりした。このコラムが読者諸兄姉の手許に届くころは万事後の祭り。ま、本番は何とかこぎつけたから、乞うご安心である。
週刊ミュージック・リポート